負い目をお赦しください マタイの福音書6:12、18:23~35

主の祈り第5番目の祈りが「私たちの負い目をお赦しください。」です(マタイ6:12)。“負い目”は返さなければならない負債であり、私たちすべての人間が生まれながら持っている罪、“自己中心”のことです。

 この負債についての神の取り扱いを、主イエスは“1万タラントのたとえ”(マタイ18:23~35)で紹介されました。借金の清算のために、1万タラントの借りのある“しもべ”が最初に連れて来られました。このしもべはひれ伏して、「もう少し待ってください。そうすればすべてをお返しします。」と懇願しました。それを見て、王は可哀そうに思って彼を赦し、借金を免除してやりました。

この譬えでは王は神を、しもべは私たち人間を象徴していますが、1万タラントは約16万年分の労働賃金に相当する莫大な金額です。つまり、罪ある私たちは神に対して到底返すことができない債務があることを意味しています。

 しかし、神は私たち人間を救うためにイエス・キリストを遣わされ、私たちの身代わりにキリストは十字架にかかって死んで、私たちの罪の贖いをしてくださいました。それゆえ、私たちが自分の罪を神の前に告白すれば、神は私たちの罪を赦してくださいます。「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(Ⅰヨハネ1:9)。

 ここで、「神の赦し」について考えてみましょう。「赦す」という言葉は聖書の原語で、「行かせる、去らせる」という意味です。神が私たちの罪を取り除き、それを拭い去ってくださり、跡形もないほどに消し去られることです。「わたし、このわたしは、わたし自身のために、あなたのそむきの罪を拭い去り、もうあなたの罪を思い出さない。」(イザヤ43:25)。ただし、私たち人間は生来、自己中心的であり、直ぐに罪を犯しやすい者です。それを清算するには、毎日罪の赦しを求めて、父なる神に祈る必要があるのです。

 ところで、王に1万タラントを免除されたしもべが、わずか100デナリ(日当)の借金のある人を赦さずに、牢に投げ込みました。この事は王の怒りをかい、彼は借金全額を返済するまで獄につながれました。「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。」(マタイ6:14~15)。クリスチャンは神から罪の赦しを得た人々です。それゆえ、罪赦された者は自分に対して罪のある者をも赦すべきです。 (牧師:北林行雄記)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください