良きサマリヤ人 ルカの福音書10:25~37

今朝は主イエスが語られた有名な「サマリヤ人のたとえ」から学びます。ユダヤ人の律法の専門家が主イエスを試して「何をしたら、永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか。」と聞きました。それに対して、主イエスは「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(申命記6:5)と「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」(レビ19:18)という御ことばを実行することであると答えられました。それでも、律法の専門家は自分が正しいことを示そうとして「私の隣人とは誰ですか」と言った質問に答えるために、以下の「良きサマリヤ人」のたとえを話されました。

ある人がエリコに向かう道中、強盗に襲われて半殺しの状態になった。そこを祭司やレビ人が通りかかったが、何もしないで、反対側を通り過ぎて行った。しかし、サマリヤ人がそこに来合せ、彼を可哀そうに思って、傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで包帯をし、彼を家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱した。しかも、宿屋の主人にお金を渡して、この人の介抱を頼んだ。サマリヤ人はユダヤ人と関係が悪かったが、それにも拘わらず、この人はユダヤ人の怪我人を助けた。その行為は彼の真実の愛から出たことであった。

皆さんは、道ばたに重傷を負った怪我人を見つけた場合、どうしますか?主イエスは「あなたも行って同じようにしなさい。」と言われました(同10:37)。今日の日本社会において、あおり運転や、突然の通り魔で全く関係のない人が多数被害に会う事件が続発しています。このような現場に遭遇したら、まず110番通報し、警察が到着するまで、被害に遭った人を優しく、愛をもって見守ってあげることです。聖書の時代と違って、今日、予想外で複雑の問題が沢山あります。私は民生委員を9年間、継続してさせて頂いています。複雑な社会問題には、警察や行政、社会福祉協議会や医療関係者と連携を取って進めることが必要であることを体験から実感しております。

 ところで、私たち人間の“真の救い主”であるイエス・キリストはこのサマリヤ人以上のことをされました。キリストは私たち人間を救うために十字架上で命を捨てられたのです。これ以上の愛はどこにもありません。教会はキリストのからだであり(エペソ1:23)、キリストの愛を実感できるところです。世の中はいろいろな問題で、恐怖感や不信感が増大していますが、教会は温かいところです。イエス・キリストの愛に接して、自己中心的で弱い人々が徐々に”キリストに似た者“に変えられて行くところです。

イエスにある兄弟姉妹は互いに祈りあい、助け合うことができます。その愛をもって、教会の外にいる人たちにも接しましょう。「私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。」(Ⅰヨハネ3:18)。 (牧師:北林行雄記)

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