処女マリヤの信仰 ルカの福音書1:26~38

イエス・キリストは処女マリヤからお生まれになりました。ある時、マリヤのもとに御使いガブリエルがやって来て、「おめでとう。恵まれた方。主があなたと共におられます。あなたは神から恵みを受けたのです。あなたは身ごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。」と言いました(ルカ1:28,30~31)。

マリヤはひどく戸惑って次のように言います。「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」マリヤはヨセフと婚約をしていましたが、夫婦生活を一緒にしたことは一度もありません。しかも、二人は旧約聖書の律法に従って真実な歩みをしていましたから、当然子どもを出産することなどあり得ないことです。

 御使いはマリヤに「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。」と答えました。マリヤが身ごもるのは“聖霊の働きによる”。つまり、人の精子による受精ではなく、主なる神の直接介入(聖霊)による妊娠であったのです。創世記1章には、地は茫漠として何もないところから、神はいろいろなものを創造されたことが記載されています。つまり、主なる神は創造主であり、無から有を造る方で、全知全能の方ですから、「神にとって不可能なことは何もありません。」(ルカ1;37)。それゆえ、聖霊によって処女が妊娠するということが起きたのです。聖霊が送られると、そこに創造の御業が起きるのです(詩篇104:30)。

このように、マリヤが聖霊によって身ごもったので、マリヤから生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれ(同1:35)、普通の人間とは違って罪のない方です。さらに、御使いがマリヤの親類エリサベツの妊娠のことを引き合いに、「神に不可能なことは一つもない。」ことを告げると、マリヤは「本当に私は主のはしためです。どうぞ、あなたのお言葉通りこの身になりますように。」と答えました。これは、神に対する彼女の信仰告白であり、今後如何なる迫害があろうと主の御心に従う決意表明でした。処女の身で出産することで、マリヤが私生児を産んだとの噂が立って、社会的な蔑視や疑いが起きることが予想されたと思います。そうであっても、彼女は主なる神の御業を受け入れたのです。マリヤの信仰は本当に素晴らしいものでした。私たちも純粋なマリヤの信仰に習いたいものです。ホームページをご覧の皆様はいかがですか? (牧師:北林行雄記)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください