主にあって賜物を用いよう ペテロの手紙第一4:10~11

 新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。本日は2020年の最初の日曜日、新年礼拝であります。

近年、我が国において地震や想定外の強風を伴う台風、洪水など自然災害が起きています。さらに、人々の格差が増大し、お互いの愛が冷え、凶悪犯罪や児童虐待など悲惨な事件も勃発し、終末の様相を呈しております。そのため、将来に不安を感じている人もおられるでしょう。使徒ペテロはこのような状況の中でも、安心して生きるための4つの秘訣を勧めています。①祈りのために、心を整え、身を慎みなさい。②互いに熱心に愛し合いなさい。③不平を言わないで、互いにもてなし合いなさい。④それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。

この中の4番目の御ことばが、新年度の富山聖書教会の主題聖句として、昨年秋から祈りの中で示されました。

私たちの教会は成長途上にありますが、さらに前進していくためには、教会員の皆さんが賜物を用いて主が望まれる奉仕に励むことが大切です。自分には人に言えるような賜物がないと言う方がいらっしゃるかも知れません。そこで、私の証をさせていただきます。私は学生時代に信仰を持ち、イエス・キリストを自らの救い主と信じました。私は救われた喜びに満たされて、教会に行くことが楽しくて、友人や家族を誘っていました。ところが、その喜びも3か月ぐらい過ぎると、徐々に薄れてきました。現実が見えて、教会といえども、罪深い人間の集まりであることが判り、遂にスランプに陥りました。そのとき、私の週報ボックスに匿名の封筒があるのを発見しました。その中に3000円と手紙が入っており、「このお金で聖書か、信仰書を買ってください。あなたのことを覚えてお祈りしております。」と書かれていました。私は「自分のことを心配し、祈っていてくださる人がいる。」ことが判り、本当に励まされました。このことを通して私は回復しました。この体験を通して、自分の周りに困っている人がいたら、その人の事を心にかけることも立派な賜物であることがよく判りました。皆さんが自覚しておられなくても、確かに主なる神はすべての信徒に賜物を与えておられます。

私たちは自分に与えられた賜物を用いなければなりません。マタイの福音書25章に“タラントのたとえ”があります。主人が自分のしもべ3人にそれぞれ、5タラント、2タラント、1タラントを預けて、彼らにそれを管理することを任せて旅に出ました。やがて、主人が帰ってきたとき、5タラント預かった者はさらに5タラントを儲け、2タラント預かった者もさらに2タラントを儲けたと報告した。主人は彼らに言った。『良い忠実なしもべだ。』と誉めて、彼らに沢山の物を任せた。しかし、1タラント預かったしもべはお金を地の中に隠していただけだった。彼は『悪いなまけ者のしもべだ。』と主人に叱られて、そのお金を取り上げられ、暗闇に追い出された。ここでの“主人”は主なる神を表していますから、与えられた賜物を用いることを神が私たちに望んでおられるのです。皆さんも是非賜物を活用してください。

そして、賜物を活用することによって兄弟姉妹が互いに仕え合うことです。教会は“キリストのからだ”と言われます。一つのからだには多くの器官があってそれぞれが特有の働きをします。同様に、各人が持つ特有の賜物をお互いに活用する(仕え合う)ことによって、からだ全体が正しく機能するのです。

 さらに、賜物を用いる中で留意すべき大切なことは、「イエス・キリストを通して神があがめられることです(Ⅰペテロ4:11)。つまり、私たちの信仰生活、いや人生において、私の栄光ではなく、神の栄光が現わされることを第一に求めるべきなのです。有名な作曲家ヨハン・セバスティアン・バッハは作曲した楽譜の最後に、自分の名前のイニシャルJSB(Johann Sebastian Bach)でなく、SDG (Soli Deo Gloria ラテン語)「ただ、神に栄光あれ!」 を書き込みました。彼は敬虔なクリスチャンで、素晴らしい証を残しました。ぜひ皆さんも、与えられている賜物を主の栄光のために喜んで用いましょう。皆さんが互いに仕え合うところに主も働かれて栄光を現されます。ハレルヤ! (牧師:北林行雄記)

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