湖の上を歩かれた主イエス マルコの福音書6:45~52

 主イエス・キリストは、伝道旅行から帰った弟子たちを静かなところで休ませるために、彼らを無理やりに舟に乗りこませ、向こう岸のベッサイダに先に行かせられました。その間に主イエスは群衆を解散させて、ご自分は祈るために山に向かわれました。祈りは父なる神との交わりであり、最も楽しく、心休まる時で、最高の栄養補給の場でした。

夕方になったとき、弟子たちの乗った舟は湖の真中まで来ていましたが、向かい風のために彼らは漕ぎあぐねていました。それをご覧になった主イエスは夜明けが近づいたころ、湖の上を歩いて彼らに近づかれました。しかし、弟子たちは幽霊だと思っておびえて叫び声をあげたのです。主は彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われました(マルコ6:48~50)。

 弟子たちは、9時間ほど前に主イエスが、“5つのパンと2匹の魚で5000人以上に給食された”奇跡を体験したのに、彼らの心が閉じていて、湖の上を歩かれる主イエスの姿を見極めることができませんでした。なお、マタイの福音書14章22~33節にはこの出来事に加えて、使徒ペテロが主イエスにお願いをし、主のおられる所を目指して水の上を歩いたことが記されています。ただし、ペテロが主イエスを見ている間は大丈夫でしたが、彼は強風を見てこわくなり、主から目を離した途端、沈みかけました。そこで、彼は「主よ。助けてください。」と叫びました。主は直ぐに手を伸ばして彼をつかみ、「信仰の薄い者よ。なぜ疑ったのか。」と言われました。ペテロをはじめ主イエスの弟子たちは主イエスが成される沢山の奇跡を見て、素晴らしい信仰体験をしていても、その信仰が自分たちの実生活の場に生きていなかったのです。皆さんはどうでしょうか?聖書のメッセージを聞いて、頭で判っていても、実生活でその信仰が正しく機能しているかを点検してください。

 生きた信仰が大切です。「信仰がなければ、神に喜ばれることは出来ません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを信じなければならないのです。」(ヘブル11:6)。  ぜひ皆さん、聖書を毎日読むだけで終わるのではなく、その箇所から示された御ことばを実行してみましょう。そうすれば、さらに大きな恵みを味わうことができます。皆様の上に主の豊かな祝福がありますように! (牧師:北林行雄記)

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