ゲッセマネでの主の祈り マタイの福音書26:36~46

イエス・キリストは十字架の苦しみに逢われる前に、ゲッセマネの園で、苦闘の祈りをされた。ゲッセマネの園はオリーブ山のなだらかな傾斜地にあり、イエスのお好みの場所であった。また、祈りは父なる神との麗しい交わりを持てる楽しい時であった。しかし、今回の祈りは全く異なり、額に汗する格闘の祈りで、ゲッセマネ(ヘブル語で“油しぼり”の意味)の名の通り、オリーブ油をしっかりと絞り取るように、イエスは精魂込めて苦しみながら祈られた。

 イエスはペテロとヨハネ、ヤコブの3人の弟子を連れて、祈り場に行かれた。弟子たちに「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここにいて、わたしと一緒に目を覚ましていなさい。」と言われた。(マタイ26:38)それからイエスは少し先に進んで行って、ひれ伏して祈られた。「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままになさってください。」(マタイ26:39)。 “杯”とは、死と神の怒りの聖杯のことで、父なる神から託された使命、すなわち人間を救うためにイエスご自身が犠牲になって死ぬこと(十字架の死)を意味している。 このことは、主イエスにとって、大変辛く厳しいことである。それゆえ、「この杯を過ぎ去らせてください」と祈り、「しかし、あなたの望まれるままをなさってください」とイエスは祈られた。

 それから、弟子たちの所に戻られると、弟子たちは眠っていた。彼らは1時間も目を覚ましていることができなかった。イエスは再び祈りの場に戻って、「わが父よ。わたしが飲まなければこの杯が過ぎ去らないのであれば、あなたの御こころがなりますように」と祈られた。このようにしてイエス・キリストはこれから自分の身に振りかかる苦しみ、十字架刑を受ける決断をされた。罪深い人間のために十字架にかかって死んで下さった主イエスの愛に感謝しよう。

 先週の祈祷会(3/17)でローマ人への手紙12:15「喜ぶ者と一緒に喜び、泣く者と一緒に泣きなさい。」から学んだ。人は自分よりも幸せな人を見ると「一緒に喜ぶ」どころか、自分と比較して敗北感やねたみに陥り、祝福の代わりに中傷に走ったりする。一方、泣いている人を見て一緒に泣いてあげたとしても、自分の心のうちで『心優しい同情者』だと思い上がってしまう。所詮、人間は皆、自己中心的な存在である。

イエス・キリストは神の御子であられる方なのに、へり下って人となり、罪ある私たち人間を救うために十字架にかかって死んでくださった。何と大きな愛であろうか。父なる神は独り子を犠牲にしてまで、わたしたち人間を救い、永遠に至る道を備えて下さった。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3:16)。

「キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって愛がわかったのです。」(ヨハネの手紙第一3:16)。私たちも、常にキリストの愛に満ち溢れるように祈りつつ、努力していこう。(牧師:北林行雄記)  

種まきのたとえ マタイの福音書13:1~9

本日はイエス・キリストを信じるようになることと、その信仰の成長についてマタイの福音書13章の「種まきのたとえ」から学ぶ。イエスは次のように語られた。

「種をまく人が種まきに出かけた。蒔いていると、種のいくつかが道端に落ち、別の種は土の薄い岩地に落ちた。また、別の種は茨の間に落ち、さらに別の種は良い地に落ちた。」(3~8節)。これら4つの中でまともに育ったのは、最後の“良い地に落ちた種”だけであった。道端に落ちた種は鳥に食べられ、岩地に落ちた種は日に焼けて枯れてしまい、茨の間に落ちた種は茨が伸びてふさがれてしまった。

私は小さい時に農家で育った。畑をよく耕し、肥沃な土地に改良して、種をまき、水をやり、心を込めて育てている両親の姿が今も目に浮かぶ。

上記のたとえにあるような道端や岩地、茨の中に種をまくことは通常あり得ない。当時のパレスチナにおける農業は粗雑であったかもしれないが、主イエスは種まきのたとえを通して、私たち人間が信仰に導かれ、豊かに成長するための秘訣を示されたものと思われる。そのことは、主イエスがこのたとえの解説をされた(マタイ13:18~23)ことでわかる。 御国のことば、つまり、福音を聴いて悟らないと、悪いものが来てその人の心に蒔かれたものを奪う(道端に蒔かれたもの)。みことばを聞くと喜んで受け入れるが、困難や迫害が起こるとつまずく(岩地に蒔かれた者)。この世の思い煩いと富の誘惑がみことばをふさぐので実を結ばない(いばらの中に蒔かれたもの)。

しかし、みことばを聞いて悟る人(良い地に蒔かれたもの)は本当に実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶ(マタイ13:23)。

 ここで、ジョン・ウエスレーの証をします。

英国国教会の牧師の子として生まれたジョン・ウエスレーは、オックスフォード大学在学中、大学の門番と親友になった。門番はある時、ジョンを訪問し、ジョンが門のところに落とした黒い皮の手帳を渡した。ジョンが礼を言うと、彼はにこにこして首を振った。「こんな大事なものこれからは紐でもつけておかれるといい」そして、がっしりとした手を、まるで父親のように彼の方に置くと、そのまま立ち去った。ジョンが門番といろいろ話すうちに彼はこの男が生まれこそ卑しく、学問を受けていなかったが、素晴らしい信仰を持っていることに気付いた。門番は「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また、『何の喜びもない』と言う年月が近づく前に。」と声高らかに聖句を暗唱した。ジョンは感心して「いつ勉強されたのですか?」と聞くと、彼は「私は字も読めないし、書きもできません。ずっと昔から日曜日が来るごとに庭の草取りや、掃除をしながら、牧師先生が聖書を読むのをじっと聞いて覚えました。耳から入ったことは、直ぐには忘れません。」と答えた。さらに、「人間、必要なものは、決して多くございません。いや、たった一つです。イエス様の愛をちょうだいすること・・・これだけでいいのです。」と答えた。

ジョンはその時はじめて、門番の貧しい小屋を眺めた。椅子と毛布とお粗末な寝台の他、何一つなかった。その時、彼は胸の中に一つのあこがれが(潔い生活をしたい)というあこがれが大きく、大きく育っていることを知った。この門番の生活こそ、本当にクリスチャンらしい、神のみこころにかなった生活ではないだろうか。彼は何一つ持っていないけれど、こんなにも心が豊かで、あふれるばかりの感謝と喜びとを持って生活しているのだ。

その後、父サムエルが病気になったので、彼は大学を辞めて故郷に帰って父に代わり説教をすることになった。彼は地元の人々に馬鹿にされ、聴衆は説教を聞くのでなく、若い副牧師をあざ笑い、ヤジを飛ばすためであった。案の定、彼が説教に入るか入らないかのうちに、彼らは一斉に口笛を吹いたり、罵倒したり、悪口を投げつけたりし始めた。しかし、ジョン・ウエスレーは不思議なほど心が落ち着いていた。彼は、いきなり力強く語り始めた。その声は、人々の罵声を抑えるほど大きく会堂の隅々まで響き渡った。彼が講壇を降りると、人々はおとなしく帰って行った。「お父さん私にはできません。」ウエスレーは父の姿を見ると、急に気が緩んでこう言った。「私には神のことばを語る資格も、その力もないように思います。「息子や」。父のサムエルは彼を抱きしめると静かに言った。「福音の種は、迫害の中でこそ実を結ぶのだよ。種をまいてただちに実を結ぶということはあり得ない。どんなことであれ、神様の時というものがある。一番ふさわしい時に、神様はすべてを成就させて下さるのだ。私たちのすることは、ただ種をまくこと。そして、水を注ぐことだけだ。」と。

 教会ではこれまで伝道礼拝やクリスマス、イースターの案内をし、トラクトや信仰書の配布などを定期的に実施してきた。 “良い地に蒔かれた種” のような人が初めから判るわけではないので、教会の家族や知り合い、周辺地域の方々に案内した。その案内を見て、直ぐに信仰を持つ人は皆無であった。しかし、日頃から、家族や親友など大切な人の救いのために祈り続け、自らの救いの証を語り、御ことばの種をまき、トラクトや信仰書を渡す地道な活動を続けるなら、全知全能の主なる神が、祈っている人々の中から必ず“良い地”に相当する人を起こして下さる。それゆえ、皆さんの大切な人々の救いのために祈り、信仰の証と福音宣教を喜んで継続しよう。           (牧師:北林行雄記)

安息日論議 マタイの福音書12:9~14

 安息日を守ることは十戒の第4戒「安息日を覚えてこれを聖なる日とせよ。」と明確に記載してある。パリサイ人(ユダヤ人律法学者)たちは、安息日(週の第7日目)には仕事など日常の仕事を停止して休むことを強調し、人々に制限をかけていた。

 一方、イエス・キリストは彼らの見解とは異なっていたので、彼らはキリストを陥れるために、難題を仕掛けてきた。その一例がマタイの福音書12:9~14である。

 パリサイ人たちは、イエスが片手の萎えた人を癒されるかどうか試して、「安息日に癒すことは律法にかなっていますか。」と質問した。イエスは彼らの目論みを見抜いて、「あなたがたのうちの誰かが羊を一匹持っていて、もしその羊が安息日に穴に落ちたら、それをつかんで引き上げてやらないでしょうか。人間は羊よりはるかに価値があります。それなら、安息日に良いことをするのは律法にかなっています。」(マタイ12:11~12)と答えられた。そして、片手の萎えた人を癒された。ユダヤ人の間では当時『生命に危険のある時』は特別に安息日でも病人を癒すことは許されていたが、この人の場合はそうではないのに、イエスが癒されたので、パリサイ人たちは腹を立てて、イエスをどうやって殺そうかと相談した。是が非でも自分たちの方針を進めたいパリサイ人たちにとってイエス・キリストの行動と発言は許せないものだった。

 そこで安息日についてもう少し深く検討してみよう。出エジプト記20章11節に、「それはが6日間で、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造り、7日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。」とある。すなわち、安息日は天地万物を創造された主の業の完結に起原がある。しかも、安息日は単なる休みではなく『主に祝福された聖なる日』である。「安息日を聖とする」のうちに私たち人間が罪と汚れから離れ、聖であるの“御人格”に触れて、心身共に栄養を補給し、新たな力を得ることが暗示されている。

 また、マタイの福音書12章8節には「人の子は安息日の主です。」とある。“人の子”はメシヤ(救い主)、イエス・キリストのことであり、この論点は、旧約聖書ホセア書6章6節「私は誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。」の引用である。安息日の捧げものは動物のいけにえではない。主なる神が憐れみ深い方であるように、私たち人間も主の憐れみに感謝し神に対して忠実に生きることである。イエス・キリストは罪を持って生まれた私たち人間を救うために、ご自身が十字架にかかって死んで、3日目に復活された。復活された日が週の第1日、日曜日であった。その後、キリスト教会では毎週日曜日に主日礼拝をささげている。

 以上のように、私たちにとって、主日礼拝を守ることは本当に大切なことである。キリストの十字架に見られる犠牲な愛、神の愛と憐れみに深く感謝して心から主を賛美しよう。                      (牧師:北林行雄記)

パウロの惜別説教 使徒の働き20:17~24

 使徒パウロは少年期からユダヤ教パリサイ派の教育を受けた熱心なユダヤ教徒で、キリスト教徒を激しく迫害した。しかし、彼がクリスチャンを捕えるために向かったダマスコ途上で復活されたキリストに出逢って劇的な回心をしてクリスチャンに変えられ、三回の伝道旅行を通して、当時のアジアやヨーロッパにも福音を伝えた。

 第三次伝道旅行中に、パウロはミレトスからエペソに使いを送って教会の長老たちを呼び寄せた。長老たちは当時の各教会の責任者で、今日の牧師に当たる。そして今後、自分たちに降りかかる迫害と殉教を想定して、集まった長老たちに惜別の説教をした(使徒20:18~35)。その中で、今朝は前半部分から学びたい。説教は大きく分けて3つのポイントがある。

1. パウロ自身に降りかかった数々の試練の中で、謙遜のかぎりを尽くし、涙と共に主に仕えてきたこと(19節)。厳しい環境の中でひたすら忠実に主イエスに従う彼の姿は印象的である。しかも、彼は益になることは、公衆の前でも家々でも、余すところなく伝え、教えた。キリストの恵みを皆に知ってもらいたい熱意の表れである。

2. ユダヤ人にもギリシャ人にも神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰を証してきたこと(21節)。私たち人間は生まれながら罪人である。神の子、イエス・キリストは人間の身代わりに十字架にかかって死に、3日目に復活された。それ故、自らの罪を悔い改め、イエス・キリストを救い主として信じるなら皆、救われる。すなわち、福音をパウロが接した人々皆に伝えてきた。

3. パウロは聖霊から鎖と苦しみが待っているという知らせを受けても、自分の走るべき工程を走りつくし、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証する任務を全うできるなら、自分の命は少しも惜しいとは思わない事(24節)。迫害者からクリスチャンに変えられた彼は福音宣教に自分のすべてをかけ、最後は殉教した。

救世軍の日本司令官だった山室軍平は晩年、「私は戦いを立派に戦い抜き、走るべき工程を走りつくし、信仰を守り通した。今や、義の冠が私を待っている。」と言った。彼は飲まず食わずの試練や、世の悪との戦いにも勝利し、多大な功績を残した人物である。さらに、彼は次のように言った。「このわざを完成させたのは自分ではない。イエス・キリストであった。自分はただ彼の兵卒として働いてきたのである。人が本当に神の御心にかなうことを計画したなら、きっと神はこれを助け、完成させて下さることがわかった。自分の生涯はまさにこのことの証であった。」と。私たちはパウロや山室軍平のような大きな働きは出来ないが、主の御心と確信することがあれば、たとえ苦労することが目に見えても心を騒がすことはない。主があなたを助け、御心の業を必ず実現させて下さるのである。それゆえ、「あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。」(コロサイ3:17) (牧師:北林行雄記)

信仰の証の効果 使徒の働き19:11~20

使徒パウロはエペソの町、ツラノ(人名)の講堂で神の国について論じた。講堂は人々が集まって講義を受ける場所であり、日中の熱い時間、すなわち、人々が休憩をとる時間にそこを借りて約2年間講義をした。その結果、アジアに住む人は皆、ユダヤ人もギリシャ人も主の言葉を聞いた。

 このような状況下で、神はパウロの手によって、驚くべく力ある業を行われた。彼が身に着けていた手ぬぐいや前掛けを、持って行って病人たちに当てると、病気が去り、悪霊も出て行くほどであった(使徒19:11~12)。

 この情報を聞いたユダヤ人の祭司長スケワの7人の息子たちが、パウロの真似をして、悪霊につかれている人たちに向かって、主イエスの名を唱えて次のように言った。「パウロの宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる。」。すると、悪霊が彼らに答えて、「イエスのことは知っているし、パウロのことはよく知っている。しかし、お前たちは何者だ。」と言った。そして、悪霊につかれている人が彼らに飛びかかり、皆を押さえつけ、打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷を負ってその家から逃げ出した。こうしてパウロと大祭司スケワの息子たちの違いが歴然とした。

 このことが、エペソに住むユダヤ人とギリシャ人のすべてに知れ渡ったので、みな恐れを抱き、主イエスの御名をあがめるようになった(使徒19:17)すなわち、これらの人々は皆、主イエスを信じたのである。

 さらに彼らの信仰が行動になって現れた。

 第一に、信仰に入った大勢の人たちがやって来て、自分たちのしていた行為(非信仰的な行為等)を正直に告白した。

第二に、魔術を行っていた者たちが多数その書物を持って来て、皆の前で焼き捨てた。その値段を合計すると銀貨5万枚(銀貨一枚が日当に相当)になった。

 イエス・キリストを自らの救い主と信じることによって、今までの価値観が変わり、本当に大切なもの、神の愛、永遠のいのちの素晴らしさが判るのである。クリスチャン一人一人は神のことばによって新しく生まれた人々である。

あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく朽ちない種からであり、生きた、いつまでも残る、神のことばによる。」(ペテロの手紙第一1:23)

皆さん、神の言葉をよく学び、その素晴らしさを味わい、その恵みをあなたの周りの人たちに分かち合いましょう。      (牧師:北林行雄記)

人の心を開かれる主の御業 使徒の働き16:13~15、25~34

福音が語られると、聖霊の働きと主の御業によって、新たに救われる人々が起こされる。「福音はユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」(ローマ1:16)。“どのようにして救われるか”は、人それぞれ異なる。 今朝は使徒の働き16章に登場するルデヤと牢獄の看守、および賀川豊彦の事例から「人の心を開かれる主の御業」について学びたい。

 ルデヤは神を敬う人であって、川岸で祈るのが習慣だった。パウロがそこで福音を語った時、主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされたので、ルデヤは主イエスを信じることができた。

 一方、看守は牢獄に入れたパウロとシラスや他の囚人たちが逃げないように厳重に番をしていた時、突然、大地震が起こって、牢獄の土台が揺れ動き、すべての囚人の鎖が外れてしまった。目を覚ました看守は、牢の扉が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。看守が囚人を逃がしてしまうことは、死をも覚悟しなければならない大失態であった。それを見たパウロが大声で「自害してはいけない。私たちは皆ここにいる。」と叫んだ。すると、看守は牢に駆け込み、震えながらパウロとシラスの前にひれ伏し、二人を外に出して、「先生方、救われるためには何をしなければなりませんか。」と言った(使徒16:30)。

 この時、看守は真剣に救いを求めた。二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16:31)そして、看守とその家の者全員が主イエスを信じ、バプテスマを受けた。

 ところで、賀川豊彦は日本の生んだ世界的伝道者であり、極度に貧しい貧民窟の人々を助け、福祉活動や社会運動を全国的に展開し、「キリストの愛の実践者」と呼ばれ、1955年にノーベル平和賞の候補になった人である。彼は、運送業を営む父賀川順一とその妾(芸者)かめとの間で生まれた。父の死後、徳島の本家に引き取られたが、妾の子と言って、皆からいじめられた。しかし、彼は成績が優秀で旧制中学に入学し、成績もトップであった。彼の学費を兄の端一が支払ってくれたが、父親譲りの好色で、芸者と遊び、家の財産を食いつぶし、会社は倒産した。そのために豊彦の学費は全く支払えなくなってしまった。彼が悲嘆にくれている時、彼に聖書を教えていたアメリカの宣教師マヤス博士が、泣きぬれた顔をした豊彦に、「涙を乾かして、太陽を仰ぐのです。泣いている目には、太陽も泣いて見え、微笑む目には、太陽も笑って見えるのです。」と言った。すると彼の心が再び喜びで輝きだすのを感じた。彼にはこのような偉大な師がいた。

 また、彼には森茂という良き信仰の友がいた。彼が落ち込んでいる時、聖書マタイの福音書6:27~32を教えてくれた。その御ことばが彼の心に響き、『こんなみじめな境遇の自分をも、神様は顧みて下さるのだ。明日炉に投げ入れられる野の草をも神様がお守りになるなら、この自分がこの世に生を受けた意味もきっとあるに違いない。』と思うようになり、心は平安で満たされた。彼は明治37年(1904年)16歳の時、イエス・キリストを信じ、全生涯をキリストに捧げて生きる決心をした。そして恩師のマヤス氏から洗礼を受けた。

 以上3名の信仰の証を見てきたが、3人とも異なる方法で救われた。人は主なる神が準備された、固有の救われ方がある。しかし、その方法が異なっても、真心から福音を聴くなら主なる神はその心を開き、救いに導いて下さるのです。それゆえ、皆さんも大切な人のために熱心に祈り続けましょう。   (牧師:北林行雄記)

信仰者の一つの願い 詩篇27:4~6

詩篇27篇はダビデがサウル王から妬まれ、生命を狙われる危険な状況下で詠まれたものである。主なる神を信じるダビデは一つのことを主に願った。それは、「私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさに目を注ぎ、その宮で思いを巡らすために。」(詩篇27:4)。つまり、ダビデは自分の生涯にわたり、”主の家“(全知全能の主なる神が臨在される所)に住むことを願ったのである。そうすることによって、主の素晴らしさに目を留め、思いを巡らして、主なる神の愛と恵で満たされる。

 その根拠は、「主が、苦しみの日に私を隠れ場に隠し、その幕屋のひそかな所に私をかくまい、岩の上に私を引き上げて下さるからだ。」(5節)。

ダビデは危険になった時に、いつも主が守って下さった体験があった。彼が絶体絶命の危機に直面した時、主は彼をひそかな隠れ場にかくまい、敵の居場所よりさらに高い所で、難攻不落の岩の上におかれた。(6節)。確かに主と共にあれば安心なので、主に喜びのいけにえを献げ、主にほめ歌を歌うのであった。

今朝は、特に「混血児の母」として世界的に知られ、エリサベス・サンダースホーム園長の沢田美喜の証を紹介して信仰に生きる素晴らしさを共に味わいたい。

沢田美喜は三菱の創業者岩崎弥太郎の孫で、大財閥の令嬢として何不自由なく育った。彼女は生まれつき利口で、男まさりであったが、心の優しい人であった。小学校の時、学校の帰り、孤児院を見つけた。それは暗く陰気な建物で。その窓から一人の少女が首を出して、うつろな目で美喜をながめていた。その目は何と悲しげで絶望的だった。それが、美喜の心に長く突き刺さっていた。

女学校時代に聖書を読み、キリスト教にひかれたが、家の人は大反対した。岩崎家は昔からずっと真言宗を守って来たからであった。沢田廉三というクリスチャンの外交官と結婚し、ロンドンやパリ、ニューヨークなどに住んでいるうちに立派なクリスチャンになった。

1945年、太平洋戦争が終わり、敗戦国日本にはアメリカ人の兵士と日本人女性との間で生まれた混血児が列車の中や駅の待合室、公園等々にたくさん孤児として捨てられた。

美喜はそれを見て、混血児たちを育てる決心をして、1948年、47歳の時にエリサベス・サンダースホームを神奈川県大磯に設立した。彼女は混血児たちをすべて受け入れ、ひとりとして拒んだことはなかった。そのため、毎日増えて行く孤児たち。それに比べてお金の方は少しも入る当てがなかった。主が必要なものを与えて下さる確信(マタイ

しかし、彼女はマタイの福音書6:31~33に励まされて『もし、この仕事が神の御心であり、自分の使命であるなら、必要なものはすべて与えられる。』と信じ、何も思い煩わなかった。すると、これほどひっ迫した事態の中にあっても、神によって守られているという安心感が与えられるのであった。

ホームの経済はいつもひっ迫していた。そのために、美喜はふつうの女の人のように洋服を買ったりできず、いつでも同じものばかり着ていた。ホームの子どもたちが「ママちゃん、かわいそうだね。僕たちのために貧乏になり、皆から悪口を言われるようになった。」とひそひそと話しているのを聞いて、美喜は、子どもたちを固く抱きしめて、「いいんだよ。何もなくてもママちゃんは幸せなの。」みんながいるから。この世で一番強いのは愛なんですよ。いつでも隣の人、お友達を愛する心を持っているなら、何も怖がることはないの。」と言い聞かせた。

沢田美喜は1980年78歳の時休養のつもりでマジョリカ島に旅行中、突然倒れて、帰らぬ人となった。彼女は本当に主なる神と共に歩んだ人だった。どんなにつらい時であっても神の愛に満たされ、神の守りと導きの中を歩んだのです。それゆえ、皆さん、いつも主の家に住むことを祈り求めて行きましょう。    (牧師:北林行雄記)

主イエスとの交わり ルカの福音書19:1~10

エリコの町にザアカイという名の取税人のかしらがいた。彼はイエス・キリストがエリコの町に入られたことを聞いて、イエスはどんな方かを見ようとしてすぐに出かけて行った。しかし、彼は背が低かったので、群衆が壁になって見ることが出来なかった。そこで、ザアカイはイチジク桑の木に登って、木の下をイエスが通られる姿を見ようとした。

 すると、思いもかけない事が起きた。その木の下にイエスが来られると、上を見上げて、「ザアカイ、急いで降りて来なさい。私は今日、あなたの家に泊まることにしているから。」と言われた。もちろん、ザアカイとは初対面である。それなのに、自分の名前を知っておられ、今日、自分の家に泊まられる。ザアカイは驚いたが、急いで降りて来て、大喜びで主イエスを迎えた。

 エリコは税関の置かれた交通の要所にあり、ナツメヤシとバルサム油の産地で、豊かな所であった。しかも、取税人は不正に多くの税を集め、余分に集めた額を自分のものとした。ザアカイはその取税人のかしらで膨大な財産を持っていた。そのため、人々はザカイを嫌って誰も相手にしなかった。それなのに、人気の高いイエス様が自分を受け入れて、家に泊まって下さるとは。スゴイことだ!!

 イエス様がザアカイの家に入られるのを見ていた人々は「あの人は罪人の所に行って客となった。」と文句を言った。しかし、ザアカイは立ち上がり、主イエスに言った。「主よ。ご覧ください。私は財産の半分を貧しい人たちに施します。誰かから脅し取った者があれば、4倍にして返します。」(ルカ19:7)。ザアカイはこれまで、不正な手段ででもお金を貯え、私財を増やすことばかりを考えて、弱い立場の人のことなど見向きもしなかった。 しかし、彼はイエス・キリストと親しく交わりをすることによって、大きく変わった。

 ザアカイの家に主イエスがどれだけ滞在されたか、会食の様子などは一切記載がないけれども、ザアカイは主イエスの人格に触れ、その愛に満たされて、愛の人になったことは間違いない。その結果は自分の財産の半分を貧しい人たちに施すと宣言したのである。

 そのザアカイを見て、主イエスは「今日、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。」と言われた。アブラハムは信仰の父と言われる。ザアカイはアブラハムのような信仰を持って救われたことを明言された。そして、「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのです。」(ルカ19:10)。つまり、(人の子)主イエスご自身が、失われた者(滅びに至る人々)を捜して救うために来られたことを明らかにされた。

 すでにクリスチャンである人も、主イエスとの交わりを深めれば深めるほど、愛と喜びに満たされるものである。肉眼で見ることのできない方にどのように会うことができるのか?心で見ることである。具体的に聖書を読んで、主イエスのことばを吟味して祈ること。そうすれば、聖霊の導きによって主イエスの愛が心の中に沸き起こってくるのです。是非皆さんも、主イエスとの交わりを一層深めましょう。                 (牧師:北林行雄記)

あなたの神、主を愛せよ 申命記6:1~9

 本日は「神を愛する」ことについて申命記から学びたい。 偉大な指導者モーセはイスラエルの民を出エジプトさせ、40年の荒野生活を終え、約束の地カナンに近づいた。しかし、彼は高齢で、余命が残り少なかった。そこで、彼はイスラエル人皆を集めて、シナイ山で神から賜った十戒を再度言い聞かせて、説教をした。

 十戒の内容: 第1戒は、主以外を神とすることの禁止、第2戒は、偶像崇拝の禁止、第3戒は、主の御名の誤用の禁止、第4戒は、安息日の規定、第5戒は、両親を敬うこと、第6戒は、不法な殺人の禁止、第7戒は、姦淫の禁止、第8戒は、盗みの禁止、第9戒は、偽証の禁止、第10戒は、隣人の所有物に対するむさぼりの禁止である。

 そして、これらの戒めを実生活の中で行うためのキーポイントと、具体的な方法について申命記6章4~9節で述べた。「聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。」(4節)。この方がエジプトの奴隷であったイスラエルの民を救い出し、導いて下さった。それゆえ、「あなたは心を尽くし、精神を尽くし、力を尽して、あなたの神、主を愛しなさい。」(5節)。この御ことばがキーポイントである。マタイの福音書22章37~38節に、律法の専門家がイエス・キリストを試そうとして、『律法の中でどの戒めが一番重要か』と質問した時、イエス様が直ぐに申命記6章5節の御ことばを答えられた。

 主なる神を愛することがなぜ重要か? その理由はヨハネの手紙第一4章に書いてある。「愛は神から出ている。」(7節)しかも、「神が私たちを愛し、私たちの罪のために宥めの捧げものとしての御子を遣わされました。」(10節)。つまり、自己中心で罪深い私たち人間を救うために神の御子イエス・キリストが十字架に罹り、死んで三日目によみがえって下さった。大きな犠牲を払ってまで、私たちを愛された。私たちはこれ程までに大きな神の愛にいつも心を留めるべきである。あなたがたの中で、律法が自分の日常生活の足かせとなり、自由が効かなくなると心配する人がいるかもしれない。しかし、神を愛することによって、自分がもっと多く神から愛されていることが判り、感謝の思いが増し加えられる。

 このように神の愛に満たされ、心の底から感謝の思いが湧き出て来るなら、喜んで神の戒めを守ることも、充分可能になる。それゆえ、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽して、主なる神を愛すること」が大切である。

 続いてモーセは、神の祝福に預かるために、あなたの子ども達にも神を愛することを教え込むように勧め(7節)、さらに実生活のなかで、いつも主なる神を愛することに励むための方策(8~9節)も勧めた。

 是非皆さん。あなたの心を尽くし、精神を尽くし、力を尽してあなたの神を愛しましょう。                      (牧師:北林行雄記)

主の恵みによる成長 ペテロの手紙第一2:1~3

今朝は、ペテロの手紙第一2章から、信仰の成長について学びたい。この手紙は、使徒ペテロが、ポントス、ガラテア、アジア、ビテイニアに散って寄留している選ばれた人々、すなわち、クリスチャンたちに書き送った手紙です。この人たちに対して、ペテロは「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生きたいつまでも残る、神のことばによるのです。」(ペテロ第一1:23)と述べています。あなたがたは神のことばと言う朽ちない種から生まれたので、必ず成長していくと断言しているのです。そして、成長していく秘訣がペテロの手紙第一2章1~2節に述べられました。

第一に、成長を妨げているものを捨てることです。

「ですからあなたがたは、すべての悪意、すべての偽り、偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて」(1節)。どの時代にも完璧な人はいません。何事にも忠実で誰に対しても親切だと思われている人でも、誰もわかってくれず、疲れ果ててしまったときは人のことを悪く言ったり妬んだりするものです。人間は本来罪人です。だから、自分の心の中に悪意や偽り、偽善や妬みが湧き出て、悪口を言いたくなったら祈りましょう。すべてを告白して主なる神に許して頂くことです。

第二に、純粋な霊の乳を慕い求めることです。(2節)。 赤ちゃんの成長にはミルクは欠かせません「霊の乳」とは私たちクリスチャンの霊的な糧のことで、心が成長するに必須不可欠のものです。毎日肉体の糧を食べるのと同様に、霊的な糧を毎日食することが必要です。従って、神のことばである聖書を毎日読みましょう。

 これら2つのことについては、信仰を持ったばかりのクリスチャンによく勧められることですが、信仰歴の長い人たちにも十分当てはまることです。その理由は、この手紙の第2章3節、「あなたがたは主がいつくしみ深い方であることを、確かに味わいました。」から判ります。主の恵みを味わっているはずだから、もっと深く味わうように勧めているのです。

 私は1971年6月20日の特別伝道集会の時、明確にイエス・キリストを自らの救い主として信じ、受け入れました。ルカの福音書15章の「放蕩息子のたとえ」から、父なる神の愛が判り自らの罪を悔い改めて神のもとに帰ろうと決心しました。その時は嬉しくて、心が燃え上がるようで、毎日聖書を読み続け、約1カ月で聖書の全巻を読み上げました。 それから約50年、毎日聖書を読み続けています。旧約聖書と新約聖書それぞれ1章ずつ読むのが私の日課です。それだけ読んでいても、毎日聖書から新しい発見があります。これまでに何度も読んで来た箇所でも、そこから、神の愛と恵みが伝わってくるのです。

神は愛です。聖書を読む前に深く沈んだ思いであったのに、読んだ後は心に不思議な喜びと他の人に対する憐れみの思いが沸き上がって来ました。聖書は本当に素晴らしい書物です。私たち、又、皆さんへの神のラブレターです。それ故、皆さん。「すべての悪意、すべての偽り、偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な霊の乳を慕い求めて」充実した信仰生活を歩もうではありませんか。

                (牧師:北林行雄記)