はてさて

人は自らの心で他をも量る。

たしか、聖書の中にも似たような文言がありましたね(^_^;) したがって、その人が誰かをどう思うかは、実はその人自身を暴露しているようなもの。殊にみっともないのはその人の属人的要素(職業、学歴、立場,etc.,)で他人を理解した気持ちになっている人がいることには、時々愕然をさせられますが、当の本人はそのことに気付いていない。というか、寧ろそれを利用しようとしているに至っては・・・(-_-;)

殊にクリスチャンは聖書をよく読めば、そのことの教訓をいたるところで感じるのですが・・・。あるがままの自分を見ようとしないで、見られる自分をいつも気にしている。それを罪とも気付かない。それでも主はそれもご存じの上で人間を愛しておられるのでしょうね。

しかし、こんなこと言うと、「神の愛はもっと厳粛で尊いものだ!神はそんな程度の人間を愛するわけはない。そんな不謹慎なことをいうものではない」などをのたまるのでしょうか・・・はてさて。

さて、今宵は、私の所は窓の外、雨が窓ガラスを打っていますが、秋の宵はそれでもセンチメンタルな気分にさせてくれます。人生を落ち着かせる季節と言っていいかも知れません。

心をば 静かに染めて 秋の宵

秋の宵は、それでなくても人の心を寂しくも落ち着かせてくれるものですが、その落ち着いた気持ちはさらに、心に何かを求めさせもします。ふと読書に耽る気持ちにもなります。さて、今宵はだれの書物に、わが心を染めることになるでしょうか。

2019年11月29日 廣瀬 修

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