救い主の誕生 ルカの福音書2:1~20

ローマ皇帝アウグストから全世界の住民登録の勅令が出たので、ヨセフはいいなづけのマリアを連れてユダヤのベツレヘムに上って行くことになった。そこにいる間にマリアは月が満ちて男子の初子を産んだ。この時がまさに、私たち人間の歴史の中に神の御子イエスが入って下さった瞬間である。

 住民登録という特別な事態で、どこの宿屋も一杯なので、マリアは初子を布にくるんで飼い葉おけに寝かせた。飼い葉おけは馬などの食料を入れる桶である。全知全能の神の御子である方が、誕生されたのに、みすぼらしい対応しか受けられなかった。

 ところが、野宿で夜番をする羊飼いたちに御使いが現れて、みどり子イエスの所に訪問するよう促された。御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ、主キリストです。あなたがたは布に包まって飼い葉おけに寝ておられるみどり子を見つけます。これがあなたがたのしるしです。」(ルカ2章10~12節)。

 すると、天の軍勢が現れて、神を賛美した。救い主イエスの誕生は天においても地においても素晴らしい喜びの知らせである。「いと高き所に栄光が神にあるように、地の上に平和が、御心にかなう人にあるように。」(14節

 そこで羊飼いたちは直ちにベツレヘムに急いで行って、マリアとヨセフと飼い葉おけに寝ておられるみどり子を捜し当てた。彼らはこの幼子に告げられたことを人々に伝えた。これを聞いた人たちは驚いたが、マリアはこれらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。彼女は自分の身に起きた神の御業を考え、生まれた幼子が将来どのように成長していくのか、母親としての思いを巡らしていたのであろう。一方羊飼いたちは、見聞きしたことが全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ讃美しながら帰って行った。

 ここで、もう一度14節の御使いたちが賛美した歌詞について洞察する。「地の上に平和が、御心にかなう人々にあるように。」ここで使われている“平和”は、戦争のない社会のような単なる平和ではなく、もっと深い意味がある。どんな環境におかれても、心と魂に長く宿り続ける平安、すなわち神との和解によって与えられ、永遠に続く平和のことである。生まれながら自己中心という罪を持った私たち人間は、救い主イエス・キリストを信じることによってのみ、神との和解が与えられる。それゆえ「平和が御心にかなう人々にあるように。」と御使いたちが賛美したのである。

 クリスマスのとき、改めて、救い主イエスが誕生されたことの大きな恵みを心から神に感謝し、神を賛美しよう。(牧師:北林行雄記)

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