2017年12月9日 信徒A
今、大河ドラマのヒロインを務めた柴咲コウさんの振り返りインタビューをテレビで見ながら、この原稿をしたためています。12月はいろいろ一年を振り返る機会となる月ですが、今年は私にとってもいろんなことを経験した年となりました。
今年は教会としても願い、祈っていた会堂建設に向け、1月にその一歩となる土地の登記をすることから始まった年でした。わたくしもこの一年は聖書読書会、ホームページの作成など新たな試みを始めた年でした。
読書会は、聖書を何気なく読むのではなく、考えながら、思いを致しながら読むということ。聖書を漫然とではなく味わって読む。そして感じ、考えるということを信徒として他の信徒と共有したいと思ったからでした。その思いがすべての信徒に伝わったかどうかは分かりませんが、聖書を読むにあたって疑問を持つことをタブーとしないということ、時にはなぜかを考えることによって、聖書の何たるかを理解しないまま過ごすことがなくなり、信仰の深みも、主への思いも、新たにできればという願いからでした。これを機に聖書を改めて精読することを始めた人がいたとしたら、提案し、始めた私には望外の喜びです。
また、HPの作成は、当教会の雰囲気や活動などを広く知っていただき、そして今この教会が会堂建設をしようとしていることを通知して、賛同を得て献金を募ることを目的とすることでした。なぜならこの教会は組織がまだ小さく資金的に厳しいものがあるからでした。しかし、だからと言ってそれを理由に会堂の建設を諦めるのではなく、できることをしていこうと考えたからでした。努力もなにもしないことではなく、努力することが主の御心に適うことだと思ったからです。だからと言ってすぐに何かの効果が表れるとは思ってはいません。ただ倦まず弛まず、この努力はこれからも続けて行こうと思います。願わくば、多くの人にこのホームページに参加して貰えればと思います。
何かを始めることは、すべての人と共に進めるということには必ずしもなりません(たとえそう願うとしても)。否定から始める人、参加を面倒と思う人、人ごとのように思って関わらない人、そういう人は必ずいます。確かに意に反することもあるでしょうし、面倒臭くなることもあるし、自分の利害に関係ないことに首を突っ込みたくないという気持ちはあるでしょう。私も同じです(残された日々を晴耕雨読で過ごすのがわたくしの理想です)。もし、この世に誰の力も借りず一人で仙人の様に生きていけるというのであればそれは可能でしょう。しかし残念ながら、人との交わりが社会である以上、その様にしたところで何かが解決するわけでもありません。ただ目の前にあることをなかったようにして事なかれで過ごしているにすぎないのです。日々を新たに生きるということはそういうことではないでしょう。目の前にあることを少しでも良くしていこうと、一人ひとりが努力することが前に進むということだし、生きることだと思います。
イエス様が集まった群集に対して、宣教を開始して最初に発せられた言葉は、「悔い改めなさい」(マタイ4:17)でした。また「人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」(ヨハネ3:3)とも言われました。人は罪びとです。しかしだから「しょうがない」ではなく、たとえ罪びとであったにしても、改め続け、生まれ変わり続けなければならないということをわたくしたちに諭しておられるのではないでしょうか。人は「今なんであるか」ではなく、「今何になろうとするか」が肝要なのであると。この年は改めてそのことを示された思いでした。それが私のこれからの希望となるでしょう。