秋の夜長の徒然

秋の夜長の徒然(つれづれ)に、ふと見つけた学生時代のノートを開いてみた。

今見ると、随分硬いことを書いているなと思う。自分が書いたことながらどこかよそよそしく感じるのは、今の自分が良くなったからか、悪くなったからか・・・。言葉の節々に感じる気負いと自信、しかしそれは一方で不安の裏返しでもあったし、焦りでもあった。それは、そもそも自らの存在根拠は何か、生きる意味は何かを求めようとして得られぬジレンマから来ていた。それを求めようとすること自体に、自らの欺瞞のようなものを感じてもいた。ただ根拠がないということを認めたくない。そのことを素直に凝視する勇気がなかったのだ。おのれを空しくすることを頭では考えられても、実行はできなかったのだ。

だが、その時はその時代の、その社会の中で懸命にそれでも生き方を求めていたのだと想うと、今思えば歯痒くもあるが、どこかいとおしくも感じる。

ただ、今、人生の幾山河の中の喜怒哀楽を、それはそれで懐かしく素直に想い返せるというのは、やはり重ねた歳がそうさせるのか。あるいは秋の夜長の所為かしらん。

やさしさも ほどほどなれや 秋の風

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