祈りの支援 コロサイ4:2-4

コロサイは紀元前4~5世紀には東西貿易で栄え、小アジアの主要都市でしたが、後に衰退しました。

使徒パウロはエペソ伝道の折、コロサイ出身のエパフラスを導き、彼は主イエスを信じ、熱心なクリスチャンとなりました。彼が郷里コロサイで開拓伝道をし、コロサイ教会が生まれたのです。

この若い教会は異邦人会員で主に構成され、異教思想を背景に持った人々が集まっていました。そのため、異端による攻撃のターゲットになりました。
パウロは弟子のエパフラスからコロサイの状況を聞き、祈りを込めて、この手紙を送りました。

それは、コロサイ教会の人たちが福音の正しい知識で満たされ、主の御心にかな
った信仰生活を送り、喜びをもって主なる神に感謝をささげることができるようにと、絶えず祈り求めていたからです(コロサイ1:9-12)。

また、パウロからもコロサイ教会に対して以下の祈りの支援を要請しました(同4:2-4)。
1 目をさまして(マタイ26:38,40比較参照)、感謝をもって、たゆみなく(執拗に、勤勉に)祈りなさい。
2 パウロ自身が牢の中にあっても、神が御ことば(福音宣教)のために門を開いてくださり、キリストの奥義を語れるように!
3 当然語るべき語り方で、キリストの奥義をはっきりと語れるように!

使徒パウロは福音を語ることで、激しい迫害に遭い、死を覚悟することが何度もありました(Ⅱコリント11:23-30)。しかし、福音宣教の情熱は変わることがありませんでした。

大伝道者であるパウロでさえ、信徒たちによる祈りが必要でした。大きな働きをする人には、サタンも強力な攻撃を仕掛けてくるからです。宣教師や牧師、伝道師のために熱き祈りをささげましょう。


ーそうですねぇ。パウロさんてぶれないのよねぇ。私、よくわかる。それ頷けるのよね。

ーあなたもですか。すごいですねぇ。信徒の鏡ですなぁ。パウロさんはきっとイエスの御言葉の真理をきちんと理解されたのでしょうね。そして、その真理を知った以上、肉体の責め苦や他人の誤解や無理解などがあってもぶれようがなかったのですね。また真理を知るということは強くなるということではないのですよね。弱いあるがままの自分や人々をそのままに理解するということなんですよね!そして、弱くて罪あるということは、人というものの結論ではなく、人の生きる前提、出発点なのだ。つまり、人は何であるかではなく、何であろうとするかが大事なのですよね。だからこそ神を崇め、友として弱き者として、人への愛情が満ちてくるんですよね。なんか私そう思うんですよね。アハハッ。#なんか俺、いいこと言ったなぁ(;^_^A

ー・・・? わたしが言いたいのはね。この間もね。息子が勉強もしないでゲームばかりやっているもんだから、そんなものいくらやってても一人前の社会人にはなれないし、生活もしていけないのよってね。我慢できなくて怒鳴ったのよ!最近、変にわかったふりして子供にご機嫌とるようなことする親がいるじゃない?でも私は自分の信念まげなかったのよ!

ーえ?あ、そっち?あなたのムチはそれですか?あなたはムチ打つ方だったんですね(-_-;) ムチは無知に通ず?あ、いえ、なんでもありません(-_-;)

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