自然の恵み

 梅雨明けと同時に猛暑到来。先週金曜日(7月26日)は富山市で37.5度まで上昇し、全国で一番気温が高く、本当に暑い日でした。そのとき、ふと庭先を見ると、1羽の雀がいかにも嬉しそうに、電線の上で動き回っていました。小さな命であっても、生きている恵みを喜び、感謝の気持ちを表しているようでした。人生は長さではなく、中身であることを、教えられました。

7月の最後の日曜日(7月30日)は神岡キリスト教会との講壇交換でした。私たちの富山聖書教会は小畑光弘師(神岡キリスト牧師)がルカの福音書から「信仰者の歩み」と題して説教してくださいました。当日は求道者の方も集われ、狭い部屋が一杯になり、大変恵まれた集会となりました。

一方、私は神岡キリスト教会に向かいました。飛騨峡谷の美しい自然を眺めながら神通川沿いの国道41号線を妻と共にドライブしました。神岡キリスト教会の礼拝において、マタイの福音書11章28~30節まで、「キリストの愛とへりくだり」と題して、私の信仰の証を交えて説教いたしました。神岡教会は124年の歴史のある教会で、中学時代から教会に来ておられる熱心な信徒の方もおられ、信仰の証を分かち合い、主にある良き交わりを持つことができました。感謝!

また、これまでの長雨と猛暑で庭の草花も驚くほど成長し、庭に多くの花が咲きほころび、特に、槿(むくげ)の花が目を楽しませてくれます。このような美しい自然を創造された主を誉め称えます。  (牧師:北林行雄記)

人とのふれあいの大切さ

今年も160枚以上の年賀状を頂きました。日頃なかなか会えない遠方に住む友人や先輩、恩師、教え子たちの情報がわかり、懐かしく味わいながら1枚1枚を丁寧に読みました。

若い世代は本人の顔写真入りで夢のあるものですが、高齢の方々のものは孫の写真が中心で、正に可愛くて、目の中に入れても痛く無いほどだという愛の思いが伝わってきました。

私の住む地域は高齢化が進んでいるところですが、最近団地ができて、若い核家族も徐々に増えてきています。また、3世代、4世代が同居している世帯も見られます。私は民生委員として、一人暮らしの高齢者の方を毎週訪問しております。彼らは会話を求めておられます。人間はひとりでは生きられません。人と人とが支え合って生きていくものです。

この観点から、若い世代と高齢者がお互いできることで支え合って生きていくことが望ましい姿かもしれません。 聖書の中に次の御ことばがあります。

「しらが(白髪)は光栄の冠、それは正義の道に見いだされる。」(箴言16:31)
「一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、御馳走と争いに満ちた家にまさる。」(箴言17:1)

93歳の一人暮らしのおばあちゃんを訪問して

 

私は民生委員・児童委員を7年間しております。地域の子供たちの登校時見守りや、高齢者訪問、配食サービスを行っております。私が担当する一人暮らしの高齢者の中に、93歳のおばあちゃんがおられます。その方は元気で、毎日畑仕事をして沢山の野菜を育て「ています。自分で食べるよりは何十倍も多い量です。そんなに作ってどうするのでしょうか。彼女は新鮮な野菜を郵便局などいろいろな所に配っています。それが、彼女の“生きがい”であり、健康法です。それで、私が訪問すると、いつも新鮮な野菜が準備してあって、手土産を渡されます。私は4年前に急性心筋梗塞をしました。減塩食を医者から勧められて、毎日沢山の野菜を食べるので、おばあちゃんから頂く野菜は私にとってすばらしい恵みでされます。嬉しい顔をして話されることを無下に中断はできませんし、頑張って生きておられる彼女の姿は私も大変嬉しいからです。

ふと、イエス・キリストのことを思い浮かべました。私たちは祈りを通して救い主イエス様にす。

その代わりと言っては何ですが、じっと耐え忍ばなければならないことがあります。彼女は話好きで、最低30分は、時々1時間以上、玄関先で立ったまま話を聴いてあげることが要求自分の気持ちを打ち明けます。どんなチッポケなことでも、イエス様は辛抱して聴いてくださいます。93歳のおばあちゃんとの会話で、しみじみと主イエスの忍耐と愛の深さを実感しました。主よ、感謝します。

松原湖研修会から

 102日から4日間、日本同盟基督教団の研修会で、長野県の松原湖バイブルキャンプ場に行ってきました。聖書のメッセージ励まされ、尊敬する牧師や宣教師の方々との再会、美味しい食事を満喫、大変恵まれました。他にもう一つ、本当に素晴らしいものがありました。朝の散歩です。早朝5時に起きて、聖書を片手に、松原湖の湖畔を30分かけて散歩しました。美しい大自然の中で聖書を開き、創造主なる神の前で心を込めて祈るひとときは(心筋梗塞を病んだbodyには良くないそうですが・・・)、感激です!! 

 特に、富山聖書教会の会堂建設のことを覚えてひたすら祈りました。祈っていると、次のことばが心に響いてきました。聖書のことばです。

私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。」詩篇121:12

 教会堂建設は大きな祝福があります。しかし小さな教会にとって経済的に多大な負担を負うことになります。たとえそうであっても、弱いにこそ、神の力、キリストの力が大きく働くことを、聖書は約束しています。“信仰をもってチャレンジせよ”と主が力強く励ましてくださった気がしました。どうか、皆様、お祈りください。主が素晴らしいことをなさって下さるよう願っています。

あらためまして

皆さん、はじめまして。
私は、富山聖書教会の牧師、北林行雄です。よろしくお願いいたします。
私は21歳のとき、初めて聖書に出逢い、イエス・キリストを自らの救い主として信じ
ました。その時から現在まで46年間、聖書のことばに導かれて生きてきました。聖書は
私の日々の糧です。毎朝、聖書を読み、そこから心の内に力を得て、一日が始まります。
あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。 聖書(詩篇
119:105)
聖書で描かれている神は、天地万物の創造者で全知全能の方です。しかも、愛の方です

私は聖書のすばらしさに打たれ、皆様に聖書の恵みを是非分かち合いたいと願い、45歳
からフルタイムの牧師となって富山聖書教会を開拓いたしました。それまで、大企業の研
究者や管理職をしておりました。キリスト教のことを学ぶために、カナダのバンクーバー
にあるキリスト教の大学院に留学を致しました。
皆さん、ご承知のように、富山は美しい自然に恵まれ、立山連峰と黒部峡谷があります
。また、富山湾の深海魚“しろえび”や“ほたるいか”は有名で、海外からも多くの観光客が訪
れます。海外ではキリスト教はポピュラーですが、日本、特に富山県は教会の数が非常に
少ないのです。
この“牧師の書斎”から、聖書のことばの解説や、富山の生活の中で味わうクリスチャンと
しての体験をお話させていただきます。よろしくお願いいたします。

牧師の書斎

このページは当教会の牧師が、自らのこと、教会のこと、聖書のこと、説教のことあるいは牧師生活のことなどなどを折につけ、思うところ、感じていることなどを、飾ることなくエッセイ風に書き連ねて行く(予定(;^_^A)のページです。

このページを通じて、ありのままの牧師を知って、身近に感じていただければ幸いです(^-^;