本日の礼拝からヨハネの福音書の学びを始める。最初に、他の3つの福音書(マタイ、マルコ、ルカ)との違いなどを交えて、ヨハネの福音書の特徴と強調点について紹介する。
マタイの福音書はユダヤ人向けの系図で始まり、イエスはダビデ王の子孫で、“王であるイエス”を伝え、マルコの福音書はバプテスマのヨハネの宣教から始まり、“神の子イエス”として紹介している。また、ルカの福音書はギリシャ人向けにマタイとは逆に人から神に向かう系図を示し、医者らしく“人としてのイエス”、つまりイエスは神であると同時に人間でもあるという視点で紹介した。
一方、ヨハネの福音書では系図は全くなく、いきなり、イエスは神の御子として初めから神と共におられた方で、人間の世界に下られた方として紹介されている。『初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は神とともにおられた。』(ヨハネ1:1~2)。
なお、“ことば”はイエス・キリストのことである。
「言葉は人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。」(ヨハネ1:14)。
「その方は血に染まった衣をまとい、その名は『神のことば』と呼ばれていた。」(ヨハネの黙示録19:13)この方(イエス)は、初めに神とともにおられ、すべてのもの(天地万物)を創造された。(ヨハネ1:2~3)
続いて、暗唱聖句に上げた4節の御ことば「この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。」“いのち”と言う単語は、ヨハネの福音書で36回も使用され、この福音書で大変重要なことばである。その意味は「永遠のいのち」のことで、イエス・キリストによって与えられるものである。すなわち、「わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは永遠に、決して滅びることがなく、まただれも彼らをわたしの手から奪い去りはしません。」(ヨハネ10:28)と主イエスは言われた。また、ヨハネの福音書14章6節では,「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことができません。」と言われた。イエス・キリストは私たち人間皆が持っている“自己中心”の罪を贖うために十字架にかかって死に、三日目に復活して下さった。それによってイエスを救い主と信じる者は永遠のいのちが与えられ、天の御国の一員となる資格を頂くことができる。
光については、ヨハネの福音書8章12節で、イエスは再び人々に語られた。
「私は世の光です。私に従うものは、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネ1:5)光が私たちの道を明るく照らすので、私たちは安全に歩むことが出来る。
また、光は希望を与える。試練の中を通る時も、その先に希望が広がっている。
イエス・キリストと共にあるなら、いつも安心と希望が約束されている。
何と素晴らしく、感謝なことであろう。 是非、皆さんもイエス・キリストにある信仰を深め、人々に力強く証をしていきましょう。(牧師:北林行雄記)