この詩篇は大変有名です。羊と羊飼いの関係は、私たち人間と主なる神であるイエス・キリストとの関係を象徴しています。
まず、羊の特徴について説明します。羊は群れを作って行動する習性があります。これは外敵から身を守るために自然にそうなったのでしょう。そのために、群れから離れると強いストレスを感じます。また、羊は臆病な動物で、危険を感じると直ぐにパニックを起こして逃げ出そうとします。なお、羊は広い視野(270~320度)を持っていて真後ろ以外はほとんど見渡せますが、奥行きがうまく認知できず遠くから迫ってくる外敵が判りません。
そのため、羊飼いに導かれないと安全に移動できません。
詩篇23:1~2節に「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ憩いの水のほとりに伴われます。」とあります。
緑の牧場には羊たちが好きな牧草があり、憩いの水のほとりでは新鮮な水を飲むことが出来るのです。だから、羊たちはそれによって体力が与えられ、魂が生き返る思いがするのです。
ここで、この詩の作者のことも考えてみましょう。この詩には”ダビデの賛歌“という表題がついています。すなわち、ダビデ王によって作られたのです。 彼はサウル王に召し出されるまでは長い間羊飼いをしていました。
ダビデが戦いで勝利するにつれ、彼の人気が高まり、人々から「サウルは千を打ちダビデは万を打った。」(サムエル第一18:7)と言われるようになると、その言葉を聞いてサウル王は非常に怒り、ダビデを妬んで、何度も殺そうとしました。しかし、ダビデは窮地に陥って死を覚悟した時でも、いつも主の助けがあり命が守られました。
このように彼は主なる神の慈しみと憐みを、身をもって体験しておりました。詩篇23篇4節の「たとえ死の影の谷を歩むとしても、私は災いを恐れません。あなたは私とともにおられますから。」はその体験から放った言葉です。4節後半「あなたの鞭とあなたの杖それが私の慰めです。」の鞭は羊を狼から守るために用いられ、杖は羊を導くために用いられました。
羊飼いの「鞭と杖」はこの詩人にとって、「いつも主が共におられる」ことを実感させ、心強く感じていました。
それで、彼は6節で「まことに私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、わたしを追って来るでしょう。私はいつまでも主の家に住まいましょう。」と決意表明をしました。
イエス・キリストは私たちの主であり、”良き羊飼い “です。
主イエスがいつも共におられるので、たとえ困難の只中にあっても必ず克服できます。主は永遠の命につながる道を備えてあなたをリードして下さいます。
ですから、いつも感謝して主の御足の後に従って行きましょう。
皆さんの信仰生活の上に主の豊かな祝福がありますように。
(牧師:北林行雄記)