イエスを土台として

ーーー今日の説教

「主イエスを土台にして」 コリント人への手紙第一3:10~15

教会はイエス・キリストを信じた人々の群れです。使徒パウロは命を賭けて福音宣教と教会形成をしましたが、今朝、その働きの大切なポイントを考えてみましょう。

  • 賢い建築家のように土台を据えた。その土台はイエス・キリストである(Ⅰコリント3:10-11)。教会はイエス・キリストを土台にして建てあげられるべきもの。
  • 建て方はそれぞれ異なるが、やがて各人の働きが明瞭になる時が来る(同3:12-14)。
  • 建物が消失しても、その人は助かる(同3:15)。キリストを土台にしているから。

木、草、藁は焼けるが、金や銀、宝石は残る。

それでは、私たちが地上生涯で行った業で神の裁きの座で最終的に残るものは何でしょうか。「金、銀、宝石」は何を意味しているでしょうか。

一般社会でいう輝かしい業績でしょうか? そうでは、ありません。

そこで、教会は「キリストを土台として建てられている」ことに、着目してみましょう。

教会はクリスチャンの群れです。キリストの十字架の贖いによって救われた人たちの集まりです。教会の中で大切なことは、私たちを救ってくださった神の業です。

それゆえ、第一にすべきことは、神の業に感謝して、神を愛し、神を賛美することです。

「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。」(マタイ6:32)。

第二に、自分が神によって赦されたことを覚えて、兄弟姉妹がお互いに赦し合うことです。

続いて、使徒パウロの生き方に注目してみましょう。

第二テモテ4:7~8には

「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれでも授けてくださるのです。」

パウロは輝かしい経歴を持っていました。今で言えば、東大を卒業して国会議員になった人です。しかし、そのような経歴も「イエス・キリストを知っていることのすばらしさ」に較べたら、塵芥のようなものであると宣言し、ひたすら福音宣教のために人生を奉げた人です。私たちも、神様のために自らの賜物を用いて、奉仕することはすばらしいことです。

そして、パウロの偉大なところは、苦難にさらされても勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通したことです。

私たちも、パウロに習って神の御心に従った生き方をしたいものです。

皆さん、たといどんな環境の中に置かれても、主キリストに従って、忠実に信仰を全うしましょう。

ーーー今日のざわつき

ーイエス様を土台に?あらま、恐れ多い。

ーいや、別に踏み台にしているわけでは・・・。基本というか基準というか、そんな意味なんじゃないですか

ーあら、そうだわよね。びっくりした(^-^; あ、それからね、金銀宝石で家建てるって、本当ですか?そんな人います? 私思うんですけどね、あなた、そんなもので建てたら、第一泥棒が来て大変じゃないですか?!ま、余計なお世話ですけど・・・。

ーあ、なるほどぉ、そうですね。確かにそんな人はいないでしょうね。多分、言いたいのは、固いしっかりした信仰を持つということだと思いますよ。

ーそうなの? もっと分かり易くパウロさん喩えてくれないかしらねぇ。あなたどう思われます?

ーえ? あ、ハイ。いささか同感です。

ーいささか同感?

ーあ、いえ、若干同感?あ、いや、そうですね、そういう感想もないこともない、と・・・(-_-;)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください