ユダに代わる使徒補充~使徒の働き1:15~26

12使徒のひとりユダは銀貨30枚で主イエスを売って、その逮捕に加担しました(マタイ27:3)。彼はそのことを後悔して自害したので(使徒1:18)、弟子の空席ができ、ユダに代わる人を1名補充することをペテロが提案しました。
なぜ、12人の使徒をそろえる必要があったのでしょうか。使徒はギリシャ語のアポストロスで、特定の使命を与えて派遣された人のことです。パウロは使徒職の重さを「あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です」と証言しています(エペソ2:20)。主イエスが12弟子を任命されたのは、彼らを遣わして福音を宣べさせるためでした(マルコ3:14)。なお、12と言う数字は旧約時代の12部族に対応しています(マタイ19:28)。
選ばれる使徒としての資格は、①主イエスと行動を共にした者、②復活のイエスにお会いした者(イエスの復活の証人)で(使徒1:21-22)、これに対応する二人を選び、主なる神の御心を求めて祈って(同1:24-25)、くじを引きました(同1:26)。その結果マッテヤにくじが当たり、彼が使徒に加えられました。この補充によってペンテコステの準備が完了したのです。
このようにして新たに編成された12使徒たちが中心になって、ペンテコステ以降、福音宣教の業がエルサレムから始まって各地へと大々的に進められ、その働きが教会に受け継がれて、今や全世界に福音が広められているのです。

ーーーざわつき

ー 使徒とは端的に言えば、福音ー天の御国が近づいたということと今は理解してくださいーを皆に伝えることです。と言いましても、勿論単なる伝書鳩ではありません。イエスの御言葉をきちんと説明もできなければなりませんから、それなりの力が必要になることは言うまでもないでしょう。皆さんは使徒のように皆に伝えられますかぁ。

ー (ん?荷がオモ!話題を変えなきゃ)でもユダはなぜ裏切ったんでしょう?

ー ユダは、イエスの集団の中で会計を任されていもましたから、いい加減な人間ではなかったでしょう。皆から信頼されてもいたに違いありません。ただ、ユダは、当時のユダヤ民族愛からくる愛国心の発露を求めていましたが、イエスにそれを期待したと思われます。しかし、イエス様の教えは、謂わば人の魂の開放であって、そのような政治的な開放ではありませんでした。開放の質が違ったのです。ユダから見れば期待外れに見えたのかも知れませんね。このようなことは、今の社会でもいくらでもありますよね。人は自らの器で他人をも量りますからね。それを防ぐにはどうしたらいいでしょうね、皆さん?

ー (お、またお鉢が回ってきた。)そうですねぇ・・・。どうしたらいいですか?

ー やはり、自らを空しくして、相手を理解する気持ちが必要ではないですかね。自らの気持ちにだけいつまでも寄りかかってないでですね。忠告を、自分への当てこすりとかひねくれないでですね。また、ほかの人への思惑に流されないでです。信仰も主の御心をまず知ろうとすることが大事です!

ー な、なるほど・・・。

ー ところで、先ほどの使徒のように皆に福音を伝えるということについてはどうですかぁ。

ー そうですね。べ、勉強します。(ウワッ、ヤバ!)

ー おぉ、それは素晴らしい!では、勉強会のようなものでも開くことにしますか?

ー ・・・(-_-;)

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