聖霊降臨の約束~使徒の働き1:3~8

イエス・キリストは十字架の苦しみの後、40日にわたって、復活されてご自分が生きていることを使徒たちに明らかにされました。そして、主イエスは彼らに、「エルサレムを離れないで、父なる神の約束を待ちなさい」と命じられました(使徒1:4、ルカ24:49)。その約束とは聖霊降臨のことで、彼らがまもなく『聖霊によるバプテスマ』(聖霊の満たし)を授けられて(使徒1:5)、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、キリストの証人となるということです(使徒1:8)。この聖書箇所は使徒の働きの中心聖句であり、事実、聖霊降臨により使徒たちは力を受けて、主イエスの復活の証人として世界各地で伝道しました。その事が使徒の働きに記載されています。
ところで、聖霊は弟子たちだけに授けられるのでなく、クリスチャン皆が受けることができます。なぜなら、聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主(救い主、キリスト)です」と確信をもって言うことができないからです(Ⅰコリント12:3)。また、聖霊は私たち人間に、キリストを思い起こさせて(ヨハネ14:26)、神の愛で満たし、聖書の理解力も与えてくださいます。それによって、どのクリスチャンも力を得て、キリストの証人としての生活ができるのです。

ーーーざわつき

ー イエスが復活され、その後40日弟子たちの前に現れ、弟子たちに使徒としての働きをさせるため、聖霊の満たしのあることを彼らに教えられました。この箇所は信仰を持って読まないと理解が難しいかもしれませんね。皆さんは理解できますか?聖霊に満たされるということですが。

ー そうね、「満たされる」というのは実感としては分かりません、正直。ただ、聖霊の導きと感じることはあります。ま、後になってからそう思うのですが。心配していたことが不思議とすんなりと運んだり、逆に上手くいかなくて悔しく思ったり、残念に思ったりしたことでも、あとでそのことが返ってより良い結果を生んだり・・・。しかし、その時聖霊に満たされていたという意識はありません。それに正直そういうことって、信仰を持つ前でもあったような気がします。ですからこの箇所は分かりづらいです。

ー そうですね。心配していたことが上手く運んだり、ダメでもそのことが後で返ってよりよい結果となったりは、別に信徒でなくてもあるでしょうね。ただ、後で気付くと、それが聖霊の導きだったのかもと思われたことはあるのですね。そこが大事なことかも知れませんよ。信仰を持つまでなら、それを単にその時の運の良し悪しで片づけたり、深く思わずに過ごしたことが、信仰から聖霊ということを感じるようになった。ここは微妙なところでもありますが、ただ単に運で片づけるのではなく、そこに何か聖霊というものを感じること、またそれを想うことが、即ち聖霊の満たしを得ているということではないでしょうか?そして、聖霊の満たしを感じるということが主を感じるということでもありますから、そのことはこれからのあなたの生きるエネルギーと言いますか、力といいますか、あるいは勇気、さらに言えば確信になっていくのではないですか?

ー なるほどぉ、そう言われればそのような気もして来ますが・・・。あ、でもですよ、聖霊に満たされるから信仰するというふうになると、これまた主客転倒のような・・・。

ー おぉ、素晴らしい!そうですね。聖霊の満たしは神の専権事項です。あなたが満たしてくださいと願うことではありません。一心に神の御心を想って祈る。そのことが、聖霊の満たしにつながるのだと思いますね。いい信仰をお持ちですね!

ー あ、いや、言われるほどの信仰を持っているというわけでも(^^ゞ

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