会堂建設設計者の日誌2

< 2019年10月23日 水曜日 >

富山聖書教会は水曜午前に祈祷会があり、毎週その席をお借りして設計の進捗などの報告をさせてもらっている。しかし今更ながら、会堂建設はちょっと違うと感じさせられるこの頃だ。

例えば、10日ほど前の話しで、屋根や外壁材の(仕口)納まりを検討するため、事務所でメーカーのT氏を待っていた。午後2時頃訪ねて来た彼は、いきなり大変だったと口火を切る。話をよく聞くと、3月に竣工したばかりの新築図書館の屋根が台風(17号)で、全部吹き飛び、その原因究明やら今後の対策にずっと走っていたという。

近頃はそういう地方のニュースもネットですぐに検索できる。原因はまだ不明などという記事も見つけた。しかしT氏の話を客観的に聞けば、「施工管理と設計監理」どちらも機能していなかったのが原因じゃないのか?と思った。普通に施工出来ていれば、19号台風のような風速60メートルの風は別格にしても、今時の新築建物は風速30メートルくらいで屋根は飛ばない。

何年か前にあった、マンションの基礎「杭」が支持地盤に届いてなく建物に不具合が出た事件。あの時も業界が大きく揺れた。今回の屋根が吹き飛んだ出来事も根本は似ている気がした。まず初動。被害に遭った建物を早急に「誰」がどうやって修繕するか?ということだと思う。しかし、現実は被害責任の落としどころが前面に出て、本来責任を取る立場では無い、中立的な材料メーカーT氏が前線で復旧指揮を執っている・・それがもう「的ハズレ」のような気がした。

私はT氏の話を聞きながら、罪が無いのに責任をとって十字架に架けられたイエス・キリストのようだと話す。すると、それはどういう事だと彼は身を乗り出してきた。私は、創世記に於ける初めの人、アダムとエバのつまずきで出来た「原罪」がたった一人の人、 イエス・キリストが清算してくれた話をしていた。随分長い間、聖書の話をしていたと思う。そして、話の途中T氏から色々と突っ込んだ質問をされ、明確に答えられない自分に”はがやしい”(歯痒い:方言)思いをした。

そして今日の祈祷会は、前半そんなT氏との会話で何か大切なモノが伝えられない・・そんな自分のジレンマを話していた。<コリント人への手紙 第二 5章 18節:これらのことはすべて、神から出ています。>そう、この福音は素晴らしいと思うからを伝えたいと思う。しかしそれを理解させてくれるのは神なのだ。T氏と話している時、自分が、相手に理解させようとしていた・・・かもしれないと思った。モヤモヤはそれだったのだと祈祷会の中で気付く。

<コリント人への手紙  第二 5章 19節:すなわち、神はキリストにあって、この世をご自分と和解させ、背きの責任を人々に負わせず、和解のことばを私たちに委ねられました。>私たちは福音の素晴らしさを伝えていく事が使命で、きっとそこに信仰の醍醐味があるのかもしれない。という思いになった。

会堂建設は、普段の作業がそのまま福音伝道につながっている・・・と、この頃思う。写真は初めて計画地に行った時のもの。(2018/5/20:撮影)

土地は一辺がそれぞれ、30m・40m・50mの直角三角形の形をしていて、父・神子・御霊の三位一体の神を連想した。

会堂建設予定地
会堂建設予定地

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