会堂建設設計者の日誌5

< 2019年 11月 10日 日曜日 >

建築の仕事を始める少し前、プロダクトデザインを学んでいた私は、授業の一環で糸魚川に完成したばかりの「谷村美術館」へ見学に行った。今から35年くらい前の話になる。設計者は村野藤吾。施工は谷村建設。そして施工者が同時にクライアントでもあった。

それで、見学に行った私たちを案内説明して下さったのが、当時現場監督をされていた方で、私はまだ村野藤吾という建築家がどれほど著名な人物で、ましてや今のように建物の善し悪しを生意気に語る事さえ無い無垢な状態だったが、施工時のエピソードには大変興奮した。

谷村美術館

(左写真:ガーデン・シティ・ライフ・ログより)美術館はスタディ模型の展示してある母屋から入り、長い回廊を通って写真奥に見える塊(展示室)へと繋がる。回廊の特徴は広い庭の砂利の粒が段々小さくなって、歩く部分に変化し、それがいつの間にか壁になっているような仕上がりだ。回廊も粗粗出来上がり建設現場を見に来た当時90歳超の村野藤吾は、回廊床と壁の境目の曲線が違うと言って現場の砂を持ってこさせそれで自身が曲線を創った。現場はその積まれた砂の曲型をとり、全て壊してつくり直す。案内してくださっている現場監督が動作を交えて当時を説明してくれる。現場にたまに来て、その都度設計変更を重ねながら美術館を作り上げていったような話に聞こえた私は、なんてワガママな爺さんだと思った。それで監督に腹が立たないのか?と言うような質問した記憶がある。すると「先生は神様だから良いのだ」と言うような、想像もしない応えが却ってきて驚いた。

谷村美術館は、彫刻家澤田政廣(セイコウ)の作品を展示するための私設美術館だ。クライアントと彫刻家とどんな繋がりがあって、どうして村野藤吾先生に設計を依頼する事になったのか、今からすればとても興味深いエピソードだったのに全く覚えていない。聴く耳を持ち合わせて無かったのが残念だ。大切な話は右から左へ流れてしまった。

1983年谷村美術館竣工。村野藤吾享年93歳(1984年)。谷村美術館は先生の晩年の傑作と言われている東京都港区にあるグランドプリンスホテル新高輪と同時につくられいて、こちらは先生最後の「手づくり建築」だ。(こちらのHPがわかりやすいので掲載します。)

建築は『クライアント』×『設計』×『施工』だとつくづく思う。一期一会の最善の出会いの積み重ねはやはり形(記憶)に残る。新会堂建設もそうでありたいと願う。 今日は主日礼拝であったが休む。施工者との出会いを求めて出かけていた。結果的には空振りだったが、無駄ではない。

11月 6日 水曜日 の祈祷会。

< ヘブル人への手紙 11章 1節 >

さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。

目に見えない事でも、動く事によって確かなものになっていくと思うから。

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