会堂建設設計者の日誌6

< 2019年11月18日 月曜日 >

設計は”良かれ”という思いで進めるが、それが本当に良いかどうかは、話が足りないとやはり足りない成りの物ができてしまう。だから沢山のコミュニュケーションを望むが、今のSNS時代HPのに書き始めた”会堂建設の日誌”を通じて気付かなかった事を教えて頂けるのは感謝だ。

まだ「介護保険制度」が導入される以前から、東京都建築安全条例で住環境福祉の指針が出ていて、当時からスロープなどその指針を基準にして設計を進めていた。例えば家庭の玄関の上がり框のスロープ:1/8。施設などのスロープ:1/12などと。

しかしこのスロープ、階段なら一段ですむ段差もスロープにすると、8倍、12倍の広さが必要になってくる。現実的ではないが一坪(畳二枚)玄関の上がり框を上がるのに、畳一枚のスロープ・・は無理だろ!?。という話で、とにかく限られた空間のスロープは無視できない広さがある。さらに出来上がったスロープが使われていなかったりすると(こんなの、本当に必要だったのか?)とがっかりしてしまう。

しかし、そんな思いも公園の公衆便所を設計する機会があって払拭された。県の担当者と打合せ中のこと「身障者用トイレは本当にそれだけのスペックが必要なのか?」と尋ねられ、現実を知らなかった私は即答ができなかった。

それで富山市にある民間の身障者施設に飛び込みでボランティアを申し込み、金沢まで一泊旅行をしたり彼らと一緒にスキーに行ったりした。施設は重度障害者の方々が多く、最初に訪ねたとき車椅子のホーキング博士のような方が出てこられて、機械が喋ったのには驚いた。細々と話せば長くなるので割愛するが、彼らとの出会いは人生観が変わるような出会いだった。

まず、公園の身障者用トイレの話に戻るが、結論はあの一坪より広いスペースは必要だ。県の担当者は公園トイレの使用状況から、そんなに広いスペースを設けたくなかったのだ。何故なら、そこで寝泊りしたり、酷い輩は中で焚き火までする。それから便器がつまるのは日常で、時には割られたり・・公衆便所は本当にハードな使われ方をしている。

しかし不特定多数が使う公園トイレとなると、やはりあの広さは必要だ。障害の重い方々は一人でトイレに行けない。補助が必要で、補助の慣れた方なら一人で大丈夫かもしれないが、にわかボランティアの私などそれが出来るわけもなく、結局トイレに3人で入る事になる。そして補助のできる人が圧倒的に少ない現実、つまり、あの広いスペースは、我々のために必要だったのだ。さらに荷物も沢山(三人分以上)あるからトイレにベンチやベッドも欲しいくらいだ。

彼らと旅行する時は”行きたい所”という思いだけで行き先を決定できない。道中にあの広いトイレがあるか?ないか?事前にチェックしておく必要がある事など、知る由もなかった。それ以来スロープをつくる機会があれば、できるかぎり丁寧に作ろうと思うようになった。

他愛もない話になるが、最近できたばかりのスーパー。夕方買い物に出かけたついでに撮った写真だ。

入り口の右側に食品トレーやアルミ缶を回収するBoxがある。駐車場に車を停めてBoxに向かうが、花壇が邪魔している。

人は迂回しない。花壇を突っ切る。それで電柱の左脇に道ができた。

ここも花壇を切って、通路を作っておけばこんな風にはならなかった。花壇など添え物のように扱いが軽い事が多くて、意外とこんな風景は多い。

前回の日誌(No.5)でも書いたが、これでもか!といった感じで設計に取り組めることは稀有な事で、それは幸せなことだと思う。

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