聖書の教えの中心 マルコの福音書12:28~34

律法学者(旧約聖書に精通した律法の専門家)たちは、人々の人気が高いイエス・キリストを罠にかけようとして、意地悪な質問を立て続けに投げかけてきました。それに対してイエス様は見事に答えられました。

その議論を聞いていた律法学者の一人が、「すべての律法の中でどれが一番大事ですか。」とイエス様に尋ねました。これは聖書の中心に関わる重要な質問です。

 イエス様は次のように答えられました。「一番大事なのはこれです。聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申命記6:4~5引用)。

 ここで「愛する」は聖書の原点ギリシャ語のアガペーが使われています。

この言葉は「愛されるもののうちに、その理由が見いだされ得ない愛」と言われ、神の愛のことです。つまり、生まれながら原罪を持つ私たち人間を救うために、神の御子イエス・キリストが十字架にかかって死んで下さった事実に表された愛のことです。すなわち、大きな犠牲を払ってでも相手のために尽くす、”犠牲的な愛“です。

 この素晴らしい愛を示されたあなたがた自身、心といのちと知性と力、あなたの持てる物すべて、全身全霊であなたの神、主を愛するべきなのです。これが第一のポイントです。

 続いてイエス様は「二番目に大切なことはあなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。これらよりも重要な命令は他にありません。」と言われました。

私たち人間は皆生まれながら、“自分が可愛い“、”自分を愛する“ 自己中心的な性質を持っています。

しかし、他人に対しては、好みの人もあれば嫌な人もいます。当然の感情でしょうが、ここでは、「隣人を愛しなさい」の愛もアガペーが使われています。

たとえ、自分に意地悪をする嫌な隣人であっても犠牲的な愛を持って、「あなた自身のように愛しなさい。」と命じられているのです。これは簡単ではないと思います。でも、イエス様のことを思い浮かべたら出来るようになるのです。

私たちはこれら二つの大切な教えを実践していく必要があります。聞いて頭で理解しただけではだめなのです。

 そこで、どのように実践すべきかこれから説明します。

  1. 実生活の中で、第一にすべきことは神との関係です。

主日礼拝や日々のデボーション(聖書の学びと祈り)、奉仕、献金等をあなたの信仰生活の柱とするようにしましょう。先ず神様との関係をしっかりしたものにすることが大事です。

2.家庭や学校、職場など他者との関係において、まず自分自身が神に愛され、生かされていることを感謝し、他の人を思いやる気持ちを持って、相手が必要とすることを自然体で無理なく行えるように努力しましょう。

 イエス様の説明を聞いた律法学者は「先生その通りです。『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛し、隣人をあなた自身のように愛する』ことはどんな全焼の「いけにえや供え物よりも、ずっと優れています。」と答えました。

当時のイスラエル人の中では供え物をどれだけするか重要視されていました。しかしこの律法学者はイエス様の教えに感動してこう答えたのでしょう。イエス様は彼が賢い返事をしたのを見て「あなたは神の国から遠くない。」と言われました。この律法学者は神の国に近づいたのです。あとは二つの大切なことを実践するだけです。

 最終的に、天の御国に入るために最も必要なことは何か、お判りになったと思います。

今朝学んだ大切な二つの教えをしっかりと実践していきましょう。

                       (牧師:北林行雄記)

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