「主はあなたを守って下さる」詩篇121:7

詩篇121篇はエルサレム神殿への巡礼者が歌ったものと言われています。

エルサレムはユダヤの山地の上に建てられた町で、海抜約800メートル、地中海から約50kmの位置にあります。西は切り立った山地、東はユダの荒野に囲まれ,北側を除き周辺は険しい崖となっており、海からも川からも接近することは容易なことではありません。

ソロモンとヘロデが建てた神殿はモリヤの山の上に建てられており、そこは、アブラハムがイサクをいけにえとして捧げようとした場所です。

 ここに、世界各地から大勢の巡礼者が訪れました。長期間の巡礼の旅で病気になり死にそうになる人々も少なくありませんでした。

 このような状況の中で、詩篇作者は「私は山に向かって目を上げる私の助けはどこから来るのだろうか。私の助けは天地を造られた主から来る。」(詩篇121:1~2)と宣言しました。

主は天地万物の創造者なので自分のすべてを御存じですから、どんな環境の中に置かれても彼は主によって必ず助けられると確信していました。

3節から主語が「私」から「あなた」に変わりますが、これは巡礼者たちが交互に歌う、いわゆる交唱形式をとったものです。

「主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方はまどろむこともなく、眠ることもない。」(3~4節)これはイスラエルの民が出エジプトするときに主は寝ずの番をして、彼らを守って下さった歴史的な事実から出た言葉です。(出エジプト12:42)

 続いて、5節では「主はあなたの右の手をおおう陰」と歌いました。

「陰」は一般的に”守護“(守り)を表し、「右手」は”利き腕“を表すので、「右手を覆う陰」は戦うための利き腕を主がいつも守って下さるということです。つまり、どんな状況の中にあっても、常に主の守りがあることを意味しているのです。

 さらに、「昼も日があなたを打つことがなく、夜も月があなたを打つことがない。」(6節)と続きます。日中の強い日差しによる日射病や夜の月が原因で起こる“てんかん”などの危険がありますが、主の守りによって巡礼者は守られるのです。

 私は先週新聞を読んでいて、「コロナ禍、失業者に支援届かず。三重から東京野宿し転々」という記事が目に留まりました。新型コロナウイルス感染拡大で、仕事や住まいを失った人に、充分な支援が届いていない現状を表すものでした。三重県桑名市の自動車工場に就職し入社研修を受けたばかりの青年が4月中旬に上司から突如、「悪いけど雇えなくなった。コロナで仕事がないんだ。」と言われ解雇された。

彼の所持金は数千円、仕事も貯金も住む所もない。しかも、家族にも頼れない。市役所に行って相談するも、期待する援助が得られず、三重から東京まで、電車を乗り継ぎ、夜は公園や駅前で野宿してやっとの思いで地元、東京までたどり着いたとの報告です。彼は行政への不信感が募り本当に困ったときに誰も助けてくれない悲惨さを味わいました。

 政府は経済発展ばかりを重視してきましたが、人間の心を大切にしてこなかった。そのため、コロナ禍の影響で益々人々の愛が冷え、本当に助けを必要とする人が無視されるようになっています。残念なことです。このような中で本当に私たちを助けてくださる方は誰かが明らかになるのです。

詩篇作者は力強く言いました。

私の助けは天地を造られた主から来る。(2節)

主はすべてのわざわいからあなたを守り、あなたのたましいをを守られる。(7節)

主はあなたを行くにも帰るにも今よりとこしえまでも守られる。(8節)

主は真実な方で、私たちの全生活を守って下さる方です。

皆さん、そのことを心から感謝してお互い助け合い、お互いのために祈っていきましょう。

                      (牧師:北林行雄記)

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