主の御心の実践チーム 出エジプト記4:1~17

モーセはイスラエル民族のレビ人の両親から生まれ、まだ赤子の時にナイル川の葦の茂みに置かれたが、すぐにパロの娘に拾い上げられ、王女の息子として育てられた。エジプトのあらゆる学問を受けて成長した。 モーセが40歳になった頃、同胞イスラエル人を奴隷の苦しみから救おうとしたが、同国人に受け入れられず、ミデヤンの地に逃れた。それから40年後に、主なる神がモーセをイスラエルの指導者として召し出された。(出エジプト3:4~10) 神はモーセに次のように仰せられた。イスラエルの民に「あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主があなたがたのところに私を遣わされた。」と言え(15節)、さらに長老たちを集めて「主なる神は、あなたがたのこと、また、エジプトであなたがたに対してなされていることを、必ず顧みる。」と言いなさい。

 モーセは主に答えた。「彼らは私の言うことを信じず、私の声に耳を傾けないでしょうむしろ、『主はあなたがたに現れなかった。』と言うでしょう。」彼はイスラエルの長老や民がモーセのことばを素直に受け入れないことを、40歳の時にモーセがイスラエル人に受け入れられなかった自らの体験から判っていたのだろう。

 そこで、主はモーセがもつで奇跡を行われた。モーセが杖を地に投げるとそれがに変わった。続いて、手を伸ばして、蛇の尾をつかむと手の中で杖に変わった。手を懐に入れると雪のように白くなった。もう一度入れると元のようになった。 これら二つの奇跡を行っても、イスラエルの民がモーセのことばに聞き従わなかったら、ナイル川の水を汲んで、渇いた地面に注ぎなさい。すると、ナイル川から汲んだ水は渇いた地面の上で血となる。

 主はモーセがイスラエルの民に知らせるために、以上3つの奇跡を準備して下さった。これだけあれば充分なはずであるが、モーセはなおも拒んで主に言った。「ああわが主よ。私はことばの人ではありません。以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。私は口が重く舌が重いのです。」(10節)。モーセは学識もあり、しっかりとした考えもある人物であるが、口下手でどもりであったらしい。

 主はモーセに「人に口をつけたのはわたし、主である。わたしがあなたの口とともにあってあなたが語るべきことを教える。」と言われた。それにも拘わらず、モーセは拒んで、「ああ、わが主よ、どうか他の人を遣わしてください。と言った。彼は言い訳の出来ない強情さで反発した。

 すると、主の怒りがモーセに向かって燃え上がり、こう言われた。「あなたの兄レビ人アロンがいるではないか。…見よ彼はあなたに会いに出て来ている。」 主はアロンが雄弁である事、弟モーセに会いたがっていることを充分承知の上で、二人のチームミニストリーを宣言された。その内容は、「私(主)は、あなた(モーセ)の口とともにあり、また彼(アロン)のくちとともにあって、あなたがた(モーセとアロン)がなすべきことを教える。」(15節)。モーセはエジプトで十分な教育を受け、判断力も優れ、主なる神によってえらばれた指導者であった。しかし、彼は会話力に弱さがあった。その弱点をアロンがカバーし主の言葉をモーセに変わって伝達した。アロンの語るべきことはモーセが主から示されて、それをアロンに伝えた。モーセとアロンの協力によって、イスラエル人の出エジプトという神の御業が遂行された。 チームミニストリーにはお互いに相手のことを考え、共に協力し合うことが大切である。教会はキリストにある神の家族で、教会員ひとりひとりはお互いにキリストにつながった兄弟姉妹である。お互いに相手のことを考え、主の奉仕と信仰の証に努めることが大切である。各人が持っている賜物を活かし、皆が喜んで奉仕し、豊かな実を結ぶ教会を目指して励もう。(牧師:北林行雄記)

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