バプテスマのヨハネの証言 ヨハネの福音書1:29~34

 先週金曜日(12月9日)ある新聞の朝刊のコラムに、次のような記事がありました。

  動物園のパンダが「食べちゃ寝」ばかりなのは訳がある。腸が牛や鹿といった草食動物より短く、栄養を吸収する効率が悪い。主食の竹は養分が少なく、大量に取る必要がある。60キロの人が毎日9キロのサラダを食べるようなものという。だから、口を“むしゃむしゃ”しているか、エネルギーを使わないように寝ている。

 この記事から判ることは、動物といえども、パンダの持っている特徴をよく理解し、尊重することが大切であるということです。同じように、私たち人間、ひとりひとりが持っているオリジナリティを尊重することが大切です。

 先週の礼拝において、マルコの福音書1章から、バプテスマのヨハネが「この方(イエス・キリスト)は聖霊のバプテスマをお授けになる。」と人々に伝えた箇所を学びました。クリスチャンは皆、イエス・キリストにある救いの体験、聖書の理解等、日々の生活の中で、聖霊の働きを体験することができます。しかも、どのような人であっても、固有の特徴があり、各人に対する聖霊の働き方も異なります。それゆえ、私たちはお互いの特徴を理解し、尊重していくべきあります。

 

今朝はヨハネの福音書1章から、イエス・キリストに関するバプテスマのヨハネの証言について学びます。29~34節でバプテスマのヨハネが自分の方に歩いて来られるイエスを見て、語ったことを要約すると、以下の3つにまとめられます。すなわち、

(1).イエスは世の罪を取り除く神の小羊である。先にヨハネが「自分の後に一人の人が来られます。その方は私にまさる方です。」と言ったのはこの方のことである。

(2).御霊が鳩のように天から下って、この方の上に留まられるの見た。この人こそ聖霊のバプテスマを授ける方である。

(3).この方は神の子である。

  これら3つのことについて、今から説明します。

先ず、(1)から始めます。私たち人間は皆、生まれながら「自己中心」という罪を持っています。喜んで他人のために労苦しながら、他の人のために尽し、“聖人”と呼ばれる人であっても、いざ自分や家族の身に被害が及ぶようになったら、自分の身が哀れになって、他人の世話などできなくなるものです。

  しかし、イエスキリストは私たち人間の罪を贖うために、十字架にかかって死んでくださいました。すなわち、イエスは世(わたしたち人間)の罪を取り除く神の小羊です。

なお、旧約の時代は、人が罪を犯した場合、傷のない小羊を屠って、赦しを受けていました。イザヤ書53章7節に「彼は痛めつけられ、苦しんだ。口を開かない。屠り場に引かれて行く羊のように。」と書かれています。この羊は傷のないものでないと、ダメなのです。人間に言い換えれば、私たち人間の罪の贖いは、罪のない方であるイエス・キリストだけができる業でした。正しく、罪のないイエスキリストが罪ある私たち人間の身代わりに、父なる神から断罪されたのです。これは、神の愛から出たことです。

    次に、(2)について説明します。御霊が鳩のように天から下られた。鳩はおとなしくてやさしい、しかも、素直で平和なイメージを持った鳥です。創世記8章11節にくちばしにオリーブの葉をくわえた鳩が出て来ます。地の全面が水でおおわれ、罪深い人間が神の裁きを受けて死に絶えました。しかし、その状態からその水がひいて、オリーブの木が生える。オリーブの葉は生存したノアたちへの平和のメッセージでした。

御霊が鳩のように天からくだり、イエス・キリストの上に注がれたということは、イエス様は神から遣わされた方であり、聖霊のバプテスマを授けることのできる方であるとヨハネは確信したのです。

そして、(3)に移ります。バプテスマのヨハネはその光景を見て、イエスは正しく神の子であり、この方こそ、聖霊によってバプテスマを授けることのできる方であると確信しました。それで、ヨハネは二人の弟子に、イエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の小羊」と言ったのです(36節)。その二人の弟子はペテロとアンデレです。ペテロはやがてイエス・キリストの一番弟子となりました。

今朝は、バプテスマのヨハネの証言について学びました。特に、印象的であったのは、彼はイエス様のことを弟子たちに、「見よ。世の罪を取り除く神の小羊」と紹介したことです。神の御子であるイエス・キリストが私たち人間を救うために、私たちの罪を背負って身代わりに十字架にかかって死んでくださったのです。何と大きな、測り知れない愛でしょうか?心から父なる神と子なる神、すなわち、主イエス様に心から感謝をします。

私は23歳のとき、映画「塩狩峠」を見て、大きな感動を受けました。鉄道職員でクリスチャン青年の永野信夫(実名:長野政男)はこの峠を登坂していた列車で連結器が外れるという事故が発生し、下り車線で暴走する電車を止めるために、自分の身体を電車の下敷きにして止め、乗客のいのちを救った事件でした。人のためにいのちを捨てる、それ以上の大きな愛はありません。イエス・キリストは私たち罪深い人間のために、十字架にかかって死んでくださいました。主の絶大な愛に感謝します。

バプテスマのヨハネは聖霊に導かれて、イエス様のことを弟子たちに紹介しました。皆さんもこれに倣って、是非、大切な人、友人や知人にイエス様のことを紹介してください。12月24日(土)のクリスマス集会、25日のクリスマス礼拝にお友達を誘いましょう。     (牧師:北林行雄記)

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