主にある教会成長 コロサイ人への手紙3:12~23

新年おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

本日のメッセージの聖書箇所コロサイの町は地理的に今のトルコの一部にあり、この手紙の作者パウロの時代は東西交通の要所で、繁栄した町でした。そのため、いろいろな人種や職業の人々が住んでいました。教会においては異邦人の会員や奴隷の身分の人もいました。そのため、教会内に複雑な問題も生じてきました。

 そこで、パウロはコロサイ教会の信者たちに、彼らの信仰がさらに成長するためにこの手紙を書きました。「あなたがたはキリストと共によみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。」つまり、今までの古い行いに死んで、今はキリストにある新しいいのちのうちに生きているのです。それゆえ、これまでの人間的な生き方、淫らな行いや汚れ、情欲、貪欲を止めなさいと勧めたのです。

 そして、イエス・キリストを信じた人は「新しい人を着た」とパウロは宣言しました(10節)。つまり、神によって御子イエスのかたちに造られていくと言うのです。この“かたち”とは外見のことを言っているのではありません。私たちの心がイエス・キリストに似たように変えられていくということです。人の話を聞かず、怒りっぽく、しかも、自分が高く見られたいと思う人が、他の人の話にも、しっかりと耳を傾け、相手の気持ちになって、その人が良くなるように祈り、支えてあげる人に変えられていくことなのです。

 そして、教会においてはギリシャ人もユダヤ人もない。割礼のある者も、ない者も、未開人もスキタイ人もなく、奴隷も自由人もない。キリストがすべてであり、すべての人のうちにおられる。この記述はコロサイ教会の実情を知っているパウロならではことばです。なお、スキタイ人とは北方の草原地帯から出た遊牧民で、文化的には最下層の人たちでした。

 

 12節から、クリスチャンはどういう者で、どのように歩むべきかについて記述されています。

1.クリスチャンは神に選ばれた者で、聖なる者、愛されている者である。

人間世界に生きている私たちはとかく他の人と比較されることが多くあります。あの人が上手にできるのに、この人は失敗ばかりしていると。

私はもっと若い時はこのようなことはあまり言われないように気をつけて生きてきました。しかし、高齢になった今、これまで簡単にできたことが、うまくできず、我ながら、呆れることがあります。毎日、謙遜の学びをしております。

 私が40歳ごろは或る会社に勤めておりました。部課長会に出席した時のことですが、頭がツルツルに禿げた企画室長が発表の番になったときでした。企画室長は立派なかつらをかぶって、若々しく颯爽と登場されました。その時、会場は驚きに包まれ、「あれは誰だ?」と疑いのことば、そして、暫くすると、会場全体が大笑いに包まれました。男性用かつらが、ほとんど普及していない時期でした。頭にかつらをかぶるだけで、若々しい姿に変えられたのでした。

これを私たちの信仰生活に例えて考えてみましょう。私たちはイエス・キリストを頭にかぶることによって、主イエスに似た姿に変えられます。私は外見のことを言っているのではありません。私たちの心のことを言っています。主イエスは謙遜な方です。神の子であるのに、私たち人間と同じ姿になり、痛みも苦しみも経験されました。さらに、私たち人間を救うために十字架にかかって死んでくださいました。なんと大きな愛でしょう。神は愛です。私たちも日々、神の愛に満たされて生きるなら、不平、不満はおきて来ません。

今の時代はロシアのウクライナ侵攻や中国、北朝鮮の動きを見たとき、終末の様相を示し始めています。しかし、このような状況にあっても、イエス・キリストにあって生きるならば、何も恐れることはありません。

  • 神に愛されている者として為すべきこと
    • 深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を身に着ける。
    • 互いに忍耐し、赦し合う。
    • 愛を着ける。愛は結びの帯として完全である。
    • 心がキリストの平和で支配されるようにする。
    • キリストのことばが心のうちに豊かに住むようにする。
    • ことばであれ行いであれ、何かするときには、主イエスによって父なる神に感謝し、すべてを主イエスの名によって行う(17節)。

.すべてのクリスチャンが常に心掛けること
  「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。」

    コロサイ人への手紙 3章23節)

まとめ

 今朝は、使徒パウロが、問題を抱えるコロサイの教会の人たちの信仰の成長を願って、書き送った手紙から大切な事柄を学びました。教会はイエス・キリストを信じる人たちや、救いを求める人たちの集まりです。また、教会にはいろいろな文化を持った人たちが集まっています。性格も職業も、育った背景もみな異なるので、摩擦が起きることは必然的なことです。しかし、教会はイエス・キリストにある信仰によって一致を保つことができます。

 私たちの教会は新会堂ができ、昨年4月30日に献堂式を行いました。素晴らしい会堂です。ここで毎週礼拝を持てることは主なる神様の恵みです。

 富山聖書教会は開拓からスタートし、27年経過しましたが、これからの発展が期待されています。人数的にも経済的にも成長するためには、先ず、教会員の信仰が成長することが大切です。このことは一朝一夕にはできないと思います。日頃の誠実な歩みが大切です。そのためには、「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。」を忠実に実行することです。皆様の上に、全知全能の主なる神の恵みと祝福が益々豊かにありますようお祈りいたします。(牧師:北林行雄記)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください