愛と信仰による証 テサロニケ第一1:1~8

 テサロニケはギリシャ北部の大都市です。パウロの生きた紀元1世紀には、東西のローマ帝国を結ぶ重要な街道がこの都市を貫通しており、さらに良好な港もあり、重要な商業都市として栄えました。

 使徒パウロがこのテサロニケで伝道を開始しました。ユダヤ人の会堂であるシナゴーグで旧約聖書を開いて福音を語ると、わずか3週間で沢山の人々がイエス・キリストを信じました。 すると、妬みに駆られたユダヤ人たちが教会に集うクリスチャンたちを激しく迫害するようになりました。そのため、パウロはテサロニケ教会の信徒たちを激励訪問したいと思っても、全く不可能のことでした。

 そこで、パウロは弟子のテモテに託して、テサロニケ教会の人達に手紙を書いたのです。そのテサロニケ人への手紙第1章から今朝、学びたいと思います。 先ず、差出人と宛先が書かれ、手紙の本題が始まります。その内容は、パウロがテモテから聞いたテサロニケ教会の人達の様子について彼の心の内を語ったものです。それは以下の3つの点に要約できます。

 

  • 神への感謝

パウロはテサロニケ教会の信徒たちが厳しい迫害を経験し、疲れと苦しみで信仰が弱っているのでないかと心配していたようでした。しかし、弟子のテモテから報告を受けて、彼は安心して励まされ、主なる神に心から感謝を捧げました。テサロニケ教会の信徒たちは迫害の中にあっても信仰が弱ることなく、信仰の働きとそれに伴う愛の労苦、そして彼らが抱いている主イエス・キリストへの望みと忍耐をパウロは思い起こして(3節)、改めて、父なる神の御前に感謝の祈りを捧げたのです。

  • 神に選ばれた民であるとの確信

 パウロはテサロニケ教会の信徒たちは全知全能の神から選ばれた民であると確信しました。その根拠は二つあります。一つは彼らに伝えられた福音は力と聖霊と強い確信によったものであるからです(5節)。単なることばだけのものではないのです。

 実際にテサロニケ教会の人たちは多くの苦難の中でも、聖霊による喜びをもって、神の御ことばを受け入れ、パウロたちと主イエスに習う者となったのです。そして、マケドニアやアカヤとのすべての信者の模範となりました(7節)。

  • 福音宣教の広がりと教会成長

主のことばがテサロニケ教会から出て、マケドニアとアカヤにも響き渡ったことが8節に書かれています。“主のことば”とはここでは、イエス・キリストの福音のことを言っています。この福音がテサロニケ教会からマケドニア地方全体と隣のアカヤ地方にも伝えられて、そこで福音が響き渡るほどに人々に知られるようになっていました。それは教会に集う人たちが恐れることなく、大胆に信仰の証をして、福音を宣べ伝え続けて来た結果です。すごいことですね。また、このことによりテサロニケ教会はますます豊かに成長していきました。

 私たちの富山聖書教会は昨年4月に新会堂の献堂式を行いました。この新会堂一杯に人々が集まるために、信徒の皆さんの“生きた信仰の証し”が重要なのです。牧師の私もこのことを念頭において、教会の皆さんと一緒に前進したいと思っております。宜しくお願いします。

 

 さて、ここでクリスチャン各人の生きた信仰の証が教会成長のキーポイントであることについて、私の体験をから紹介させていただきます。

 私は農家の次男坊です。農家においては、長男は家を継ぐので大事されるけれども、次男はそれほどではなく、教育にしても次男にはお金をかけません。そのため私は小さい時から「自分のことは自分でする」という考えで生きてきました。

 成人式を迎えた頃、まだ学生でしたが、真剣に自分の将来のことを考え、英語の必要性を感じていました。約50年前のことですが、富山県にはあまり外国人がいませんでした。その時、北日本新聞にカナダ人宣教師のことが掲載されていました。父がそれを直ぐに見つけて教えてくれました。気の良い温かい父でした。いつかその外人を訪問したいと思っていましたが、そのまま時が流れていきました。

 大学3年の時、男子生徒4~5人で下宿において深夜まで、連日たわいもないことを話し合っておりました。その時期、私は将来のことを考えているうちに、海外の人との交流の必要が出てくると思って、英会話を習おうと決心しました。そして、20歳のときの新聞記事を思い出し、カナダ人宣教師F.L.ピカリン先生のお宅を訪問しました。

 ピカリン宣教師は喜んで迎えてくださり、家族を紹介され、美味しいカナダ料理を振る舞ってくださいました。緊張しながら、自分流の英語ですが、なんとか通じていました。その後、教会に毎週通って礼拝に出席していましたが、まだ信仰には至っていませんでした。なお、その時紹介されたお子さんは下の二人だけで、あとの二人の娘さんはカナダの大学で学んでいました。

 その1年後、次女のジョイスがカナダから日本に来たので、私に富山を案内して欲しいと依頼されました。外国人は一般に日本の伝統文化に関心があるので、八尾町の“おわら踊り”や曳山、神通峡を紹介し、良い交わりの時を持ちました。そのとき、両親も一緒でした。素晴らしいクリスチャン・ファミリーに出会って、両親はキリスト教に良い印象をもちました。私も同様に、ピカリン先生家族との真実で温かい交わり、主イエス様にある信仰の交わりの素晴らしを実感し、真剣に聖書を学び、教会の主日礼拝を忠実に守りました。そして、信仰に導かれて、洗礼を受けました。 ピカリン宣教師一家は日本語があまり上手ではありませんでしたが、真実で温かい生き方、彼等の信仰の証に私は感動しました。それが私のクリスチャンに対する見方(イメージ)となりました。

テサロニケ教会が成長したのはどこに秘訣があったのでしょうか。それはユダヤ人による激しい迫害の中も、彼らは喜んで人々に信仰の証しをする姿が周りの人々の共感を呼んだのです。

日本語がうまく話せなくとも、ピカリン宣教師は力と聖霊と強い確信をもって活動されていたからだと思います。

また、私は“話べた”で、うまく証できないという方にお伝えします。皆さんが日々イエス・キリストにあって喜んで生きている姿は立派な証であり、伝道なのです。無言の伝道といいましょうか。うそ、偽りのない、真実な歩みを共にしていきましょう。皆様の上に全知全能の主なる神様から豊かな祝福がありますようお祈りしております。

いつも主にあって喜びなさい。(ピリピ人への手紙4:4)(牧師:北林行雄)

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