すべての人を照らすまことの光 ヨハネの福音書1:6~13

いつまでも止まないロシアのウクライナ侵攻や、強国の核兵器増産計画など、最近の世界情勢は不穏な空気が流れています。このような時こそ、聖書に目をとめ、本当の生きる希望と喜びに満たされたいものです。

 今朝は、私たち人間を照らす真の光、希望の光についてヨハネの福音書1章から学びたいと思います。

 神から遣わされたヨハネとはバプテスマのヨハネのことです。彼はイエス様より半年早く生まれた人ですが、彼は生まれながら特別な使命を神から授かっていました。その使命とはイエス・キリストのことを人々に証する。つまり、イエス様のことを紹介することでした。

イエス・キリストのことをヨハネの福音書1章9節では、「すべての人を照らすまことの光」と紹介しています。暗やみの中に輝く光は本当に貴重です。私たち人間は生まれながら罪人で、最終的に裁かれて、暗い地獄に送られ、そこで、大変な苦しみを味わう身でした。しかし、イエス・キリストは私たちを救いに導き、希望をあたえてくださる真の光です。この方は天地万物の創造者なる神の子で、もとから世におられ、世はこの方によって造られました。

 イエス・キリストは神の約束の民であるユダヤ人の子孫としてお生まれになりました。しかし、ユダヤ人の指導者たちに受け入れられず、十字架にかけられ、処刑されました。そして、3日目に死からよみがえられて、婦人たちや弟子たちの前に姿を現されました。  

 このイエス様を自らの救い主として信じ、受け入れた人々(クリスチャン)は神の子どもとなる特権を与えられるのです。この特権は万物の創造者、主なる神からのプレゼントであり、信仰者に与えられる特別な権利なのです。この権利を得るために、高額なお金も支払うこともなく、労苦して働くことも、必要ないのです。ただ、自らの罪を悔い改めて、イエス・キリストを私の救い主ですと真心から信じ、受け入れることです。

クリスチャンは神の愛と恵みによって新しく生まれた者なのです。

人間は全知全能の神によって造られた者です。創造主なる神が、はじめから人間を神のかたちに創造されたのです。それゆえ、人間は自由意志を持っており、自分で決断して、事を行うことができます。

残念ながら、私たち人間が自分で判断して行ったことが必ずしも正しいとは限りません。最初の人アダムはサタンに誘惑されて罪を犯しました。彼はサタンの誘惑があったとき、神の教えに耳を傾けず、自分の思いを優先して、勝手に行動してしまったからです。

人間は皆、自己中心という罪を持っています。自分が良ければよい。また、他人より少しでも自分が優れたものと思われたい。一方、事業に成功して、豊かな生活をしている人を羨ましく思ったり、人々から人気がある人を妬んだりする性質があります。

小学生の子どもに、「君は友達を羨ましく思って、意地悪したことない?」と聞くと、「あるよ。」と正直に答えます。しかし大人になると、このことがあったとしても、隠して言いません。どうしてでしょうか?彼等のプライドが邪魔するからです。

このような罪深い人間であっても、神の前に悔い改めて、主イエスを信じるなら、罪が赦されるのです。

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(コリント人への手紙第二5章17節)

罪を犯したら、小さいうちに解決することです。プライドが邪魔して、隠していると、罪もだんだんと大きくなって、悔い改めが難しくなります。

以上まとめますと、

  • 私たち人間は生まれながら罪を持っているが、罪を悔い改めて、イエスを救い主と信じた者は神の子どもとなる特権が与えられる。
  • この特権を与えられた人たち(クリスチャン)は神によって新しく生まれた者である。
  • 救われた人間であっても、些細なことで罪を犯しやすい性質を持っている。それゆえ、日々悔い改めて、イエス・キリストの内にあって新しくされる必要がある。

      (牧師:北林行雄記)

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