あなたに働かれた神の御わざ マルコの福音書5:26~34

 本日の聖書箇所は12年間も長血を患う女性に対するイエス・キリストの癒しの御業についてのものです。

 長血は婦人特有の、血が流れ出る病気です。旧約聖書のレビ記15章によれば、この病気にかかった女性は、人々から“汚れた者”として見なされることになっておりました。長血の病気にかかった状態で、この女性は12年間も苦しみ、大変な思いをしていたと思います。

 さらに、彼女は多くの医者からひどい目にあわされていました。医者に治療してもらっても、良くなるどころか、病気が悪くなる一方でした。彼女は医療費を払うために、持ち物をすべて使い果たしてしまったのです。このような厳しい状況であったとき、主イエスがこの近くを通られることを耳にしました。そこで、彼女は群衆とともにやって来て、うしろから主イエスの衣に触れました。

 なぜ彼女はこのようなことをしたのでしょうか?彼女は「主イエスの衣にでも触れれば、私は救われる。」と思っていたからです。なお、この考えは当時の民衆の間に出回っていました。マルコの福音書3章10節に次のような記載があります。イエスが多くの人を癒されたので、病気に悩む人たちがみな、イエスに触ろうとして、身元に押し寄せてきたとあります。

また、彼女は自分の病、すなわち、長血を患う女性の気持ちとして、人目につかないように、そっと主のイエスのうしろから主の衣に触れたように思います。

彼女が主イエスの衣に触れた瞬間、彼女の血の源がかれて、ひどい痛みが治ったことを、彼女は身体に感じました。つまり、彼女の身体から出ている血の源、血を発生するところで血が止まり、もうこれ以上出血しなくなったのです。そのため、ひどい痛みも全くしなくなったのです。正しく、主イエスによって完全な癒しの業をこの女性は実体験したのです。

主イエスはこの時、自分の内から力が抜けていくことを感じて、「誰が私の衣に触ったか」と知ろうとされました。大群衆の中、誰が触ったかわかるはずがないと弟子たちが否定的なことを言っても、主イエスは誰が触ったか知ろうとされたのです。

なぜ、主イエスはそこまでして、誰が触ったかを知ろうとされたのでしょうか?

その答えは長血をいやされた女性が恐れおののきながら進み出て、主の前にひれ伏して真実をのべたことに対する主イエスの発言から判ります。主イエスは彼女の肉体的な治療をする医者だけでなく、むしろ、人間の心、魂の医者であります。

イエス様のお言葉

  • あなたの信仰があなたをなおしたのです。

イエスは彼女に向って、「娘よ。」と親しみをもって呼びかけられたのです。主イエスの力が働いて、この女性が癒されたのに、主は「わたしがあなたを癒したのだ。」とは言われなかったのです。それは、主イエスが彼女の信仰に目をとめておられた   からです。

確かに、主イエスの力が働いたのは、彼女が主を心から信頼して、主が必ず自分を癒して下さる方であると信じる心、すなわち、主イエスを信じる信仰があったからです。

  • 安心して行きなさい。

このことばは“シャローム”に基づくものでありますが、単なる別れの挨拶ではなく、主イエスはもっと親身を込めて、「神から与えられる平安を持って生活ができるように!」との彼女に対する祝福のことばです。

  • 病気にかからず、すこやかでいなさい。

これは彼女の身体は完全に癒されたことの保証であり、これから病気のことを心配せずに、前向きに生きるのだよという医者であり、魂の救い主である大牧者、主イエスの願いであったと思います。

 皆さん、この素晴らしいイエス様がいつも共にいてくださることを確信し、感謝をもって、共に日々の生活や仕事を進めてまいりましょう。(牧師:北林行雄記)

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