旧約聖書に登場するヨナはユニークな預言者です。彼は、主なる神が「ニネベの町に行き、主のことばを語りなさい」と言われたのに、その仰せに従わないで、船に乗って反対方向のタルシシュに逃げようとしました(ヨナ1:1-3)。
その理由は、ニネベは敵国アッシリヤの主要都市であり、もしそこで主のことばを告げたら、人々は悔い改め、神の裁きを免れることになる。そうすると強敵が滅ぼされる絶好の機会を逃して、自国イスラエルにとって不利になると思ったからです(同4:1-2)。これは自国優先で、自己中心の考えですが、ヨナのみならず、どの人間の心にも潜む思いではないでしょうか?
彼の乗った船は大嵐に遭って難破しそうになり、その原因がヨナであることが判ると、海に投げ込んでもらって死のうとしました。海に投げ込まれたヨナは正しく死ぬほどの苦しみをしました。「水は私の喉を締め付け、深淵は私を取り囲み、海草は私の頭にからみつき、地のかんぬきがいつまでも私の上にあった」(ヨナ2:5-6)と告白しています。その苦しみの中から彼は主なる神にお願いすると、主は答えてくださいました。主がヨナを助け、大魚の腹の中で生き延びるようにされました。主の命令を拒絶し、自死しようとした二重の反逆者ヨナを主なる神は赦してくださったのです。主は本当に憐れみ深く、情け深い方です。
主の恵みと憐れみに触れたヨナは回心して、その後、主の仰せに従って敵国の主要都市ニネベに行って、主のことばを伝えました。
注)神は天地万物の創造者であり、人間にいのちを与えてくださった。それゆえ、自死は神に罪を犯すことになる
—ざわつき
ー この話知ってますよ。クジラのお腹の中に居たって話でしょ?これ書いた人面白いこと考えたわよね。それでなんか覚えてます。
ー そうですか。確かにユニークですよね。で、このヨナさんの行動をどう思われますか?
ー そうねぇ。でもなんか気持ちわかりますよ。私だって敵は滅ぼしたいと思いますもの。そしてそれが上手くいったら、国ではわたしは英雄として迎えられないかしらとかまで想像しちゃいます。ま、でも溺れて、あんな苦しみに合うのはいやですけどね。
ー でもヨナさんは預言者ですから、神がどのような方か分かっていた筈ですよね。それでも神の命令とは違った行動をとったということですよね。
ー そうね。止むを得ずね。
ー そうですね。ヨナさんのやったことは人間の社会では特に非難されることではないですよね。あなたもおっしゃった様に寧ろ英雄扱いされるかも知れません。しかし罰せられましたね。なぜでしょう?ここが考えどころじゃないですかね。
ー むずかしいわねぇ。
ー 自分の国では英雄かも知れませんが、敵国からは仇ですよね。恨みは残りませんか?恨みが残れば解決したことにはならないんじゃないですか?
ー でも皆殺しにして滅ぼしてしまえばいいんじゃないですか?
ー 敵とは言え、そこには子供も女性も老人もいるはずですよね。そのような弱い人たちが抵抗できたでしょうか?皆殺しとはそういう人も無差別に殺すということですよね。そうしなければ禍根を残すことになりますから。皆殺しにして証人はいなくなったとしても、天は知っていますよね。あなたは知っていますよね。
ー ・・・。
ー ここで大事なのは敵をやっつけたところで実は解決はしないということ!恕(ゆる)すこと!違いをなくすことではなく、違いを互いに認め合うこと!そういうことを学ぶべきではないでしょうか?そしてそれをするのは人間の思いではなく、神の思いを知り、神のみ教えに従っていこうとする心じゃないかと思うのですが、如何ですか?
ー あら、そんなことまで書いてありましたっけ?
ー あ、いや、ちょっと広げすぎましたが・・・。
ー そうよね。それよりこの話で私は、クジラのお腹の中に私も入ってみたいと思いましたよ。案外居心地いい気がしません?
ー あ、そこ?(-_-;)