罪に死んで神に対して生きる者~ローマ人への手紙6:4~11

先日、テレビのサスペンス番組を見て、人間の弱さ、罪深さを改めて考えさせられました。一人の女子高生が男子生徒に恋文を送ったが、男子生徒はそれを机の中にしまっておきました。その同級生の悪ガキ3人組がその様子を見ていて、恋文を探し当てて、女子生徒の指定した場所に行って、彼女をレイプしてしまいました。女子生徒は後に弁護士になり、虐待やレイプなどの被害者を助けるグループで働くようになりました。一方、彼女が恋文を送った男子生徒は刑事になり、悪ガキ3人組のひとりが国会議員になりました。女子生徒は弁護士として困った人を助ける働きをしていますが、高校3年のときにレイプされたことが時々思い出されて悩み、悪ガキ3人組みを憎んでいました。ある時、悪ガキ3人組の二人が殺害され、国会議員ひとりが残される事件が起こり、刑事になった同級生が捜査に当たりました。そして、国会議員が狙われていることが判り、その議員の周辺を捜査するにつれて、弁護士の事件への係りが見えてきました。彼女が活動していたグループの女性とその子どもが家族旅行中に交通事故で死亡しました。実は、その事故は悪ガキ3人組の車が引き起こしたものでしたが、国会議員が乗っていたこともあり、当時の警察が十分に調査もしないで、運転していた男性による交通事故として処理していました。死亡した女性の夫が飲食店の経営者で、交通事故を起こした3人組を恨んでおり、残った国会議員も殺害しようとしていました。その議員が殺されそうになったとき、刑事が犯人の男性を捕らえ、更なる罪を犯さないようにし、国会議員をひき逃げ犯容疑で逮捕しました。
また、弁護士は直接手を下しませんが、殺人犯擁護の罪で逮捕されました。このように人の心に受けた深い傷は容易に解決されるものではありません。どうしたら、完全に解決できるでしょうか。
聖書の中に真の解決法を発見できます。すべての人間は生まれながら罪人です(マルコ7:20-23)、どんな学問や修行によっても罪から離れることができません(ローマ7:15-20)。そのためにイエス・キリストが、私たち人間の身代わりとなって十字架にかかって死に、三日目に死からよみがえられたのです。それゆえ、自分の罪を悔い改め、イエスを信じて主と告白する人は誰でも救われて(ローマ10:9)、「罪に対して死に、神に対して生きる者となる」のです(ローマ6章4, 11節)。
それでは、“罪に死に、神に生きる“とは具体的に何を意味するのでしょうか。「キリストに接ぎ合わされ」(ローマ6:5)、しっかりと結びつくことによって、人間の欲望やサタンの誘惑に負けない心に変えられ、”神の国と力“(神の支配)が自分の生活の中に生じることです。
接木された枝が台木の根や幹から栄養分を吸収して、継ぎ目が判別できないほど成長するように、皆さんの心が開かれて、“神に対して生きよう”と意識改革をすれば、最初は変化が無いように見えても、やがてキリストに似た姿に成長することができるのです。

ーーーざわつき

ー 人は順風の時は心穏やかなものです。ですからその時の信仰も穏やかなものです。しかし信仰は穏やかなときばかりでなく、何か苦難や試練、いや苦難や試練と感じているときはまだ余裕があるのかも知れません。そういう余裕さえ持てない苦痛を味わった時こそ、信仰の意味、愛の意味について聖書から学ぶことが大きいのです。分かりますか?

ー 苦痛や不条理な目に遭っているとき、信仰の意味なんて考える暇あるかしら?ただその苦痛やら不条理やらを現実として跳ね返す力をこそ必要とするのじゃないかしら?

ー そうですね。お気持ちは分かりますよ。それはそうでしょうとも。しかしですね、その時私たちは復讐することですっきりするでしょうか?そこに新たな罪が生まれるとは思われませんか?悪い奴はやっつけられて当たり前、それだからこそ神の存在があるとでも?

ー むつかしいことは分かりませんが、しかしそうでなければ世の中不公平だし不条理のままではないですか?!

ー 勧善懲悪!そうであれば、私たちはスッキリしますよね。それは私も否定はしません。誰だって悪い奴がのさばっていて、いい感じはしませんものね。しかし、翻って悪い奴はその報いを受けて当然と思う気持ちは善でしょうか悪でしょうか?誉められるに値することでしょうか?そこに罪はないでしょうか?それは神の義でしょうか?

ー 理屈はどうか分かりませんが、悪い奴は悪い。責めて当然だとやはり思いますよ。そうでなければ世の中悪ばかりがはびこるではないですか?

ー 人を責めるのは楽です。しかし、責めたてたら悪がはびこらなくなるでしょうか?相手を責めなければ損だと思う気持ちが蔓延した世の中は平和で良い世の中と言えるでしょうか?寧ろ、世の中を少しでもよくすることは、責める自分を顧みることの中にこそ生まれるのではないですか?イエスは悪い奴に罰を与えなさいとはおっしゃいませんでした。7回赦せばいいのかの問いに7の70倍赦しなさいと言われました。また、あなたの敵を愛しなさいと言われました。この言葉の意味を私たちは深く味わわなければなりません。真の信仰はそこから生まれるのだからです。

ー そうですね。正直まだよく理解できたとは言えませんけど、今の言葉でなんか心がすごく穏やかな気持ちになりました。そのことは素直に告白します。ところでちょっとお訊ねしますけど、私、ときどきうちの人をからかったり、おちょくったりしますけど、それは罪ではないですよね?だって、そうした時、私の心が穏やかになりますし、スッキリしますもの。ちょうど今のお話を聞いた時の様に・・・。

ー あ、そうですか?気持ちが似たものにねぇ・・・。ただ、ご主人がいささかお気の毒な気もいたしますが(^_^;)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください