いつも主を見上げて祈ろう 出エジプト17:8~16

過酷な奴隷状態から出エジプトすることのできたイスラエル人の民が、シナイ半島にあるレフィデイムで宿営していた時、宿敵のアマレクが攻撃してきました。そこで、モーセはヨシュアに“戦場に出てアマレクと戦うように”指示し、“自分は神の杖を手に持って丘の頂に立つ”ことを約束しました(出エジプト17:9)。指示に従ってヨシュアはアマレクを戦いました。モーセが手を上げているときはイスラエルが優勢ですが、手を降ろしているときはアマレクが優勢になりました(同17:11)。この戦いは普通の戦いではなく、主なる神の関与を実証しています。
“モーセが手を上げる”ことは、イスラエルの勝敗に関わる重要なことで、その意味は、①主なる神の選びの民として“神の杖”を上げて、イスラエルの民に全能の主の御業を思い起こさせる(戦国時代に武将が旗を掲げ、士気を高めて戦ったように。モーセが神の杖を上げると、主の御業が起き、紅海の水が分かれて乾いた地が現れ、イスラエルの民は海を歩いて渡ることができた)。②イスラエル人のために “とりなしの祈り”を主なる神にささげることです。
続いて、“とりなしの祈り”について考えてみましょう。モーセはイスラエルの民と神との仲保者として、イスラエルの民のために主なる神にとりなしの祈りを捧げました。荒野の生活の中で、イスラエルの人々(その数は約200万人と推定)が訴えてくる様々な要求を聞いて、彼らのために主にとりなしました。大変な働きです。
私は今朝、地域の防災訓練に参加してきました。富山平野を震源とする地震(震度6強)が発生し、避難場所に設定されている宮野小学校に沢山の避難者がやって来たとの想定で訓練が行われました。先ず、通路や受付、仮設トイレ、収容スペース等のレイアウトを速やかに決定します。その後、次から次とやって来る大勢の避難者をどのスペースに配置すれば良いか即座に判断する必要があります。特に、90歳以上の高齢者や、怪我人、熱がある人をどこに配置するか。また、ペットを連れた人はどうするか。周りの影響(ペットアレルギーなど)も考慮しなければなりません。私たちは日頃便利な生活をしていても、いつ地震が起きて、このような事態が起きるかわかりません。常に、心の備えをしておかなければならないことを痛感しました。
イエス・キリストは「あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう」と言われました(ヨハネ14:14)。イエス・キリストの御名によって主に祈り求めれば、その祈りは答えられるのです。それゆえ、皆さん、遠慮せずに、助けが必要な自分の気持を、祈りを通して主イエスに打ち明けたら良いのです。
また、イエス・キリストは「すべて、疲れた人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」と言われました。世の中が変化して、天変地異が起こり、人々の愛が冷えても、イエス・キリストの愛は変わりません。どんなに面倒なことでも、耳を傾けて、私たちを導いてくださる方です。なぜなら、イエス・キリストは私たちを救うために十字架にかかって死んでくださった愛の方ですから。もし、私たちがどのように祈ったら良いかわからないとき、聖霊(助け主)が私たちのためにとりなしをしてくださるのです(ローマ8:26)。だから、どんな苦しみの中にあっても、希望を失うことはありません。
私たちの教会は会堂建設のために祈っています。経済的な必要は全く満たされていません。しかし、会堂建設は神の栄光を現し、地域社会に証しとなるものです。目に見えるものだけを見ていたら、信仰生活は楽しくありません。主の大きな御業を期待して祈り続けましょう。
さらに、モーセが疲れても、彼の手が降りないように、アロンとフルがモーセの手を支えたので、最終的にイスラエルはアマレクに勝利しました。兵力や財力、戦略に勝る側が一般的に有利ですが、それ以上に神の助けが大きいのです。私たちクリスチャンはもっと神の助けを求めて祈る必要があります。牧師は毎日教会員の皆さんのためにとりなしの祈りをささげています。激しい霊の戦いがあって疲れ果てることもあります。アロンとフルのように、役員をはじめ皆さんで教職者のために是非お祈りください。  (牧師記)

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