御ことばに聞き従う大切さ ヨシュア記9:1~15

天地万物の創造者であるの御業によって、岸一杯に溢れるヨルダン川の水が堰き止められ、ヨシュアとイスラエルの民は約束の地カナンに入ることができました。それを聞いてヘテ人やエモリ人などカナンに住む先住民族の王たちは一つになってヨシュアおよびイスラエルと戦おうと考えました。ところが、カナンに住むギブオンの住民たちには別な計略がありました。彼らは変装して遠い国から来た旅人と偽ってイスラエルと盟約を結ぼうと計画しました(ヨシュア9:4~6)。彼らは古びた袋と、古びて破れたために継ぎ当てをしたぶどう酒の皮袋をロバに負わせて、繕った古い履物を足にはき、古びた上着を身に着けました。そして、ギルガルの陣営のヨシュアの所にやって来て、「私たちは遠い国から参りました。ですから今、私たちと盟約を結んでください。」と言いました。イスラエルの人々は最初、警戒していましたが、彼らの説明を聞いて、彼らが持ってきた食料のいくらかを取りました。しかも、イスラエルの民はの指示を仰がずに彼らと盟約を結んでしまいました(同9:14~15)。このことは主の命令に背くことです。主なる神はモーセに対して次のように命じておられました。イスラエルの民が約束の地カナンに導き入れられたとき、カナンに住む先住民(7つの異邦の民)をイスラエルに渡したとき、彼らを聖絶しなければならない。」(申命記7:1~2)。モーセの後継者であるヨシュアにもそのことは伝わっていました。それゆえ、ギブオンの人たちがイスラエルと盟約を結んで、彼らが生き残ることはあり得ないことでありました。このように、イスラエルの人々は主の民でありながら、主の指示を仰がないで、カナンの先住民と盟約を結び、主の命令に背くという失敗をしてしまったのです。

 盟約を結んで三日後、この人々が近くに住む者たちであることが判明し、全会衆は族長たちに不平を鳴らしました。しかし、イスラエルの会衆の上に立つ族長たちが主にかけて彼らに誓っていましたので、主に誓ったことを破ることはできません。そのために、彼らを聖絶しないで、生かしておきました。この後、カナンの先住民はすべて聖絶されましたが、ギブオンの人々だけは生かされました。しかし、ギブオンの人たちは、たきぎを割る者、水を汲む者として扱われ、最低の身分となりました。

 この世は誘惑に満ちています。信仰者であっても、注意をしていなければ、サタンの攻撃に負けてしまいます。興味がわいても、甘いことばに唆されてはいけません。そのような危険から身を守るためには常に主の御ことばを聞くことが大切です。旧約聖書の箴言に次のような御ことばがあります。「みことばに心を留める者は幸いを見つける。主に拠り頼む者は幸いである。」(箴言16:20)。ぜひ皆さん、聖書のことばに親しんでくださいますように! (牧師:北林行雄記)

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