クリスマスとは主の証の日?

少し早いですが、クリスマスおめでとうございます。

巷はこの時期クリスマスソングがどこでも聴かれ、子供たちはケーキやプレゼントを楽しみにし、恋人たちには二人で過ごす愉しみな日でもありましょう。それだけでなく、これは宗教の違いをこえてどこでも祝われている気がします。それだけ一般的な行事となっていると言えるのでしょうか。

ただ、クリスチャンにとっては、神自らこの世に降りられたことの証の日と言えます。ですから、クリスチャンにはこの日はまさに特別です。

この機会ですから、個人的な思いですがクリスマス(主がこの世に降られた日)について、思うことを少し以下に書き連ねてみたいと思います。

主はなぜ自らその御子をこの世に下されたのでしょうか?

聖書によれば、主は民に何度も主に立ちかえるようにと、主に従うようにと、何人もの預言者を通して諭されてこられました。今度も預言者を通じて諭すことでもよかったのでは・・・。しかし、主はそうはなさらず、御子を下されました。それだけの理由があったのだと思わずにはいられません。強い思いがあったのだと。現にその後、使徒はいても預言者は出ていません。預言者はもう要らないから。(私の身贔屓な思いかも知れませんが)。

民に伝える強い思いは一つではなかったかもしれませんが、一番は、真実の教えを直に、私たちに伝えるためではなかったでしょうか?

イエスが、今からおよそ二千年前に示された、「愛」という言葉に込められた真実は、二千年後の私達にも真実です。そしてこれからもずっと真実でありましょう。なぜなら真実とは永遠であるのですから。そして永遠は無限の時間ではなく、そもそも時間という概念がない世界のことでありましょう。ですから、愛は、真実は、いつまでも朽ちないでありましょう。私たちはこの言葉を強く思い、重く受け止め、深く考えなくてはならないと思います。また、この世から見た私たちにとっては、この言葉ゆえに、イエスはキリストなのだと心から確信させるものでもあります。そもそも信仰とは確信でなくて何でありましょう。

主の私たちへの愛に、心よりの感謝をこめて、 Merry  Christmas!

2019年12月12日 廣瀬 修

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