福音の恵みを知る特権 ペテロの手紙第一 1:10~12

私は学生時代に教会に初めて行き、聖書を紹介されて、それを熱心に学びました。そして、イエス・キリストを自らの救い主と信じて、1971年11月21日に洗礼を受けました。  

現代に生きる私たちは聖書をいつでも手にして読むことができます。しかし、普通の人でも聖書を自由に読めるようになったのは宗教改革後のことです。

 イエス・キリストによる救いは紀元前の旧約時代から預言者たちによって預言されていました。例えば、イザヤ書53章に次のように記載されています。「彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒された。私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、は私たちすべての咎を彼に負わせた。」(イザヤ53:5~6)。これを語った預言者たちは、この預言は誰のことか、いつ起きることか分からなかったのです(Ⅰペテロ1:10~11)。結局、彼らは神の啓示により「自分たちが預言していることは、後の時代の人々のためのものである」と理解しました(同1:12)。

ペテロはキリストと共に歩み、キリストの十字架と復活を体験し、救いの恵みを味わうことができました。そして、彼の仲間たち(キリストの弟子たちや主イエスの母マリヤや女性たち)が、一つ所に集まっているときに聖霊降臨があり、初代教会がエルサレムに誕生しました。迫害が厳しくなったので、弟子たちが各地に散って福音宣教に励みました。その伝道によって小アジアにも福音が伝わりました。使徒ペテロはポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビテニアに散って寄留しているクリスチャンたちに手紙を書きました。その手紙の中で「旧約時代の預言者たちが熱心に調べたことが今や、天から遣わされた聖霊によって福音を語った人々を通して、あなたがたに告げ知らされた。これは御使いたちも見たいと願っていたことである。」と記載されています(同1:13)。つまり、旧約の預言者たちが熱心に調べても明確に判らなかったことが、今日の私たちは聖書を読むことによって理解することができるのです。なんとすばらしい特権でしょう。イエス・キリストは真の救い主です。天地万物の創造主である神のひとり子である方なのに、私たちを救うために十字架にかかって、ご自分のいのちを捨てられたのです。なんと大きな愛でしょうか。私たちはこの恵みを人々に知らせる責任があります。

ところで、新約聖書の黙示録にはまだ経験したことのないことが預言されています。やがて到来する世の終わりと新天新地のことです。従って、私たちが自由に福音宣教できる時間が限られています。それゆえ、この救いの恵みをもっと多くの方々にお伝えしたいと願っております。皆様の上に主の豊かな祝福をお祈り申し上げます。 (牧師:北林行雄記)

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