ちいさなものから大きな祝福へ ルカの福音書9:10~17

 今朝はイエス・キリストがガリラヤ地方のベッサイダで行われた「5つのパンと2匹の魚で男だけで5000人ほどの人々に給食された奇跡」から学ぶ。この奇跡は4福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)すべてに記載されている有名なものである。

 主イエスは多忙な日を過ごされているので、休息のために弟子たちを連れて、ベッサイダと言う町にひそかに退かれた。ところが、多くの群衆がこれを知って、ついて来たがイエスは迷惑な顔もされずに、喜んで彼らを迎え、神の国のことを話された。しかも、癒しの必要な人たちには、いやしの業をなさった。

 そのうち日が暮れ始めたので、弟子たちがイエスに群衆を解散させてくださいと進言した。しかし、イエスは弟子たち自身で彼らに何か食べ物を上げなさいと言われた。彼らは5つのパンと2匹の魚しかないことを告げると、イエスは弟子たちに言われた。「人々を50人ぐらいずつ組にして座らせなさい。」(14節)。

 主イエスは5つのパンと2匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福して裂き、群衆に配るように弟子たちに与えられた。弟子たちはそれらを受け取り、パンを裂き、魚を分けながら、50人ほどの群れを一つ一つ廻った。人々は食べて満腹した。余ったパン切れを取り集めると12かごがあった。この出来事はパンと魚を配っている間にそれらが大きく増え広がったことを意味している。僅か5つのパンと2匹の魚で、男だけで5000人ほど、女性も含めると恐らく10,000人は超えるであろう。主イエスは正しく“小さなものから大きな祝福に変える”ことのできるお方である。

 続いて、この奇跡についてもう少し深く考察してみる。ルカは医者で、理数系であるから、パンと魚が現実に増えたことと、群衆の概数を把握して記録し、より現実的な視点からこの出来事を伝えている。以下に3つのポイントについて述べる

イエスは真実に求めて来る人々を決して見捨てることなく、適切なケアをして下さる方で、親切なかたである。つまり、人々が日々必要な物(食料など)を必ず与えて下さる。だから、私たちも、主イエスに習って兄弟姉妹、互いに親切にもてなし合うべきである。(Iペテロ4:9)特に、主に仕える者に対してそうすべきである。

イエスは僅かな物(5つのパン、2匹の魚)で大群衆に必要な食べ物を供給された。小さなものから大きな祝福を与えられた。主イエスが働かれる所に大きな祝福がある。これは霊的な面で強く現れる。私たち自身は小さな者でも、イエス・キリストにある信仰に基づいて、困っている人を助け、必要な物を与えることを通して霊的な面で神様から豊かなものを受ける。「受けるよりも与えるほうが幸いである。」(使徒の働き20:35)。これが、私たちが教会で奉仕する原点である。見えないところで喜んでする奉仕は、より一層神が祝福して下さる。

③イエス・キリストは私たちの身体だけでなく魂もいやしてくいださる方である。私たち人間が生まれながら持っている自己中心の罪を贖うために、十字架にかかって死んで下さった。それは、私たちを救い、永遠のいのちを与えるためである(ヨハネ3:16)。

ぜひ、皆さん、主イエスにあって豊かな信仰生活を歩んでください。何をするにしても、主イエスを見上げ、喜んで奉仕をしていただきたいと思います。そのためには、いつもキリストの愛に満たされていることです。「人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが、満くぉたされますように。」(エペソ3:19) (牧師:北林行雄記)  

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