天の御国 ヨハネの黙示録 21:1~4

本日は召天者記念礼拝である。 召天された方々は天の御国にある住まいに入られた。

  • 主イエスが準備された住まいはどのようなものか。そこは神がいつも共に住まれ、死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない所である(黙示録21:3~4)。なぜなら、召天者は神の民であるからだ。
  • 私たちはどうしたら父なる神のもとに行けるか。イエス・キリストを自分の救い主として信じることである。主イエスは言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」
  • イエス・キリストはどのようなお方か。主イエスは私たち人間を救うために十字架にかかって死に、三日目に死から復活された。この方はまことの救い主である。「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われる。」(ローマ10:9~10)。召天された6人の方々は皆イエス・キリストを信じて、信仰を告白された。
  • 召天された方々の信仰の証を紹介する。

S兄弟は24歳の時に糖尿病になり、その後、脳梗塞に襲われました。それまで「少しずつ進行していくだろう」というボンヤリとした不安しかもっていなかったが、その夜は「死の淵」に立っている気持ちになりました。すぐにでも滅びてしまいそうな自分を見て恐れおののき、「生と死」に向き合える教えを求めて聖書を学び始めました。

そこには「永遠の命」について記してありました。自分の肉への思いを捨てて、神を信じることが「永遠のいのち」への道だと教えてもらいました。私は病を得てから20年の間、「どうすればこの肉体を維持できるだろうか」と、そればかりを考えて毎日を過ごしていました。つまり私は神の教えからは最も遠いところにいる自己中心のかたまりだったのです。イエス・キリストはこんなに罪深い私のために十字架にかかって下さったと知って、涙がこぼれました。私のことを愛して下さる方がいつも共にいて下さるのだと信じることができました。

   続いて、N姉妹の証を紹介します。

 「聖書は姉のものを借りて少しかじっていましたが、イエス様のことは詳しく知りませんでした。ただ、キリストが人を救うために十字架にかかられたことは信じていました。しかし、その十字架が自分のためであるとは全く認識していませんでした。この私がイエス様のことを信じて教会に加えていただきたいと思ったのは、昨年のことです。体力も気力も落ちて『このままでは終われないと、何とか本当の救い、主人と同じ信仰の道に入りたい』と願うようになりました。その頃、丁度牧師さんが訪ねて来られ、聖書からカウンセリングをしてくださいました。聖書の話を聞きながら、自分のうちにある罪が指摘され、悩みました。その時示された御ことばが、「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」(ヨハネの手紙第一1章9節)でした。神様の前に涙を流しながら罪を告白しましたら、不思議な平安、赦された思いが与えられました。そして、イエス・キリストが十字架にかかって下さったのは、私の罪を赦すためであったと確信しました。

私の大好きな御ことばは、ピリピ人への手紙4章6~7節 「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」

  • 今生きる私たちは何をすべきか

 イエス・キリストを自らの救い主として信じ、神に感謝しつつ、日々の証の生活に励むことです。ここにおられる皆さんが全員、イエスの信仰による救いを得て、天の御国行きの切符をお持ちになるようお祈りいたします。(牧師:北林行雄記)

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