罪の悔い改めと救い マルコの福音書1:14~15

皆さんの中で、わたしは全く罪のない人間だと言える方、いらっしゃいますか?

この罪は犯罪のことを言っているのではありません。聖書の中で、すべての人は生まれながら罪があると言っています。また、浄土真宗を開いた親鸞聖人は「善人なおもって往生をとぐ、いわんや悪人をや」と言いました。この意味は「善人でさえ救われるのだから、悪人はなおさら救われる」です。これは、善を行おうと努力しても、それをしっかりと行うことができない自分がある。たとえば、人に親切にしようとしても、いやなことを相手から言われたら、その人には親切はできない。心の中のこの思いは、すべての人が生まれながら持っている“自己中心”のことです。だれでも、自分が可愛い、ひどい目に会いたくないし、辛い思いもしたくないと、自分のことを中心に考えてしまいますよね。これこそが人間が生まれながら持っている“罪”のことです。

 主イエスはバプテスマのヨハネが捕らえられた後、ガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて、言われました。「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。

 ここで、悔い改めるとは、単に、今までの生き方を悔いて、改めるというだけでなく、自分の生き方の方向転換をはかることを意味しています。つまり、ただ自分の思いや考え方に従って生きてきた自分が、神の御心、すなわち、神が私たちに求めておられることを第一に求め、それに忠実に従って生きる生き方に大転換することです。

 今からヤクザであった人が回心して、イエス・キリストを信じ、神学校に行くことになった証を紹介します。

元ヤクザで、神学校に入学することになった兼光伸一さんという方を皆さんは御存じでしょうか?兼光さんは山口組直系暴力団のナンバー3の地位にありました。兼光さんの父親は元ヤクザのとび職であった関係で、彼は将来はヤクザになると決めていました。暴力などトラブルを繰り返しながら18歳で本格的なヤクザになりました。そして、少年鑑別所に3回、少年院に1回、拘置所に7回、刑務所に5回も収容されたそうです。

ところが、そんな彼が韓国ソウル生まれの奥さんと出会ったことから、聖書を手にするようになりました。彼女は小さい時から教会に通っていて、心の中にいつも神様への思いがあったそうです。兼光さんが暴力団抗争における乱闘事件で逮捕され、留置所に入れられたとき、奥さんが弁護士を通じて兼光さんに聖書を差し入れました。しかし、その時、彼は「聖書と無縁」と拒否しました。2度目の差し入れもすぐに宅下げしました。その戻された聖書を受け取った奥さんは残念で、泣き続けました。

しかし、その後、新しい展開が訪れました。兼光さんが別の事件により関西で再逮捕された時、奥さんは1歳の娘を連れて毎日面会に訪れ、「これが最後だから、とりあえず読んでみて」と3回目となる聖書の差し入れをしました。そこで、兼光さんは半信半疑でページを開いた聖書だったが、「最初の1節で本物の神様だと思った」そうです。

進化論を含め、人間がどこから来たのかはっきり分からないのが現状であるのに、聖書は最初から「はじめに、神が天と地を創造された。」(創世記1:1)。と宣言している。もうここに答えが出ていると、鳥肌が立ったそうです。それからは、“真に悔い改めれば、罪が赦される”ことを心に刻み、聖書を真剣に読むようになり、イエス・キリストを自らの救い主と信じ、洗礼を受けられました。

実は、富山聖書教会にも元ヤクザの家族が出席されていたことがあるのです。関東地方の教会の或る牧師から電話があり、「自分の教会員が富山に仕事で引っ越すことになり、教会を探している。男性はヤクザであったけれど、富山聖書教会の礼拝に出席していいでしょうか?」と言われました。

私は即答をさけて、教会の皆さんに話し、十分祈りました。そして、「慎重に対処すれば、主が守ってくださる」と確信が与えられ、その家族を受け入れることになりました。この家族が礼拝に出席されている期間はすごい緊張感がありましたが、元ヤクザの人も静かに礼拝を守ってくださり、何のトラブルもなく、良い交わりを持つことができました。

どんな人であっても、罪を悔い改めて、福音を信じるなら救われるのです。“福音”とは“喜ばしい良い知らせ”の意味で、その内容は、あなたがイエス・キリストを救い主と信じれば、あなたの罪は赦され、永遠のいのちをもつことができるのです。なぜなら、イエス・キリストは私たち人間の罪を負って、十字架にかかって死んでくださいました。この方は神の子で正しいかたであるので、3日目に死から復活されました。キリストの十字架の死は私たち人間の罪を贖うためのものであったのです(贖罪)。それゆえ、イエス・キリストを信じる人は天の御国にて永遠のいのちが約束されているのです。本当に感謝なことです。

あなたの心の中に醜いものはありませんか?

今、世界は混沌としています。そんな中で、ウクライナの戦争犠牲者の方に“今何を望みますか?”とインタビューすると“あなたの国の今の平和を大切にしてください。絶対戦争にならないように祈ります”と言う声が届きました。重く我々の心に届きます。

罪赦され、神を信じている人々は、自らの不幸よりも他者の幸せを願うよう変えられているのです。

あなたも罪を悔い改め、主イエスを信じて100%変えられる人生を歩みましょう。

ぜひ皆さん、イエス・キリストを信じて、永遠のいのちを受けてください。神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネの福音書3:16) (牧師:北林行雄記)

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