キリスト復活の証人として(使徒の働き3章1~19節)

 使徒の働き3章には最初からイエス・キリストのいやしの奇跡が登場します。生まれつき足の不自由な人がエルサレムにある“美しの門”に運ばれて来ました。この人はペテロとヨハネがその宮に入ろうとするのを見て、施しを求めました。そのとき、ペテロは次のように明言しました。「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」。そして、施しを求めた人の手を取って立たせると、彼のくるぶしが強くなって、躍り上がって立ち、歩き出したのです。しかも、神を賛美しつつペテロとヨハネと一緒に宮に入って行きました。確かに、信仰を持ってイエス・キリストの御名によって祈ると、その祈りは聞かれるのです。

 この癒しの奇跡を見ていた群衆が驚いているのを見て、ペテロはこの癒しの業について説明を加えます。ナザレのイエスは十字架にかけられて死に、三日目に復活された。そのイエスの名が、その名を信じる信仰のゆえに、生まれつき足の不自由な人を強くしたのです。「イエスによって与えられる信仰が、皆さんの前で、このとおり完全な身体にしたのです。」(使徒の働き3章16節後)と伝えました。

 更にペテロは群衆に対して次の呼びかけをしました。「あなたがたは、いのちの君を殺したのです。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。わたしはそのことの証人です。悔い改めて神に立ち返りなさい。そうすれば、あなたがたの罪は拭い去られます。」(使徒の働き3章15節、19節)。

 このようにペテロはイエス・キリストの福音を人々の前で大胆に証しました。以前の彼はおくびょう者で、イエスが捕らえられたとき、「イエスのことを知らない」と3度まで否定した人です。しかし、復活された主イエスに出逢って、しかも大宣教命令を与えられ、そして、先週学んだように、ペンテコステの日に聖霊降臨がありました。その後、弟子たちは聖霊に満たされてイエス・キリストの復活の証人として、大活躍しました。その典型的な例が弟子の筆頭であるペテロです。彼はイエス・キリストにある信仰に生き抜き、イエスの福音宣教に命を懸けた人物です。

 

 皆さんは日常生活の中でどのように信仰の証をされていますか?人前でも恥ずかしがらずに堂々と証できる人もあれば、思っていてもなかなか証ができないという人、証しそのものが苦手という人もいらっしゃると思います。人それぞれ賜物が違うので、自分のできるところから証をスタートしてください。なお、私自身は証をするときは、先ず聖霊の導きがあるように祈ってから行うようにしています。すると、不思議に平安が与えられ、相手の目線に立って自然体で話すことができます。

ところで、福音宣教のために一番必要なもの何だと思いますか? 

資金でしょうか?そうではありません。大切な人たちの救いのための切なる祈りです。そのためには、愛と忍耐が必要です。時として疲れ果てて、あきらめムードになることもあるでしょう。

その時こそ大切な祈りは使徒の働き4章29~31節に書かれてある祈りです。

 

主よ。今、彼らの脅かしをご覧になって、しもべたちにあなたの御ことばを大胆に語らせてください。また、御手を伸ばし、あなたの聖なるしもべイエスの名によって、癒しとしるしと不思議を行わせてください。彼らが祈り終えると、集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語り出した。

皆さんの中で自分はどんな賜物があるのか分からないと思っている方もいらっしゃると思います。そこで、今朝は日々の信仰生活の中で大切な“聖霊の賜物”についてお話したいと思います。

聖霊の賜物の種類について聖書の中に5か所に書かれています。そのうち、エペソ人への手紙4章7~13節、コリント人への手紙第一12章28~31節には、牧師、伝道師、宣教師など教職者の賜物のことです。ローマ人への手紙12章3~8節は仕事の内容で7種類(預言、奉仕、教える、勧める、分け与える、指導する、慈善を行う)に分けています。

私はペテロの手紙第一4章10~11節が奉仕者全般に対する心得が示されていると思います。以下、その箇所を抜粋して紹介します。

「それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々の恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。語るのであれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕するのであれば、すべてにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。この方に栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン」

その他、あなたの周りにいる人々でまだ信仰を持っていない人に、あなた自身の救いの証しをし、教会に誘いましょう。これは信徒伝道であり、神からの賜物です。

また、教会員の中で病気の人や、悩んでいる人、その他、助けを必要としている人のために、とりなしの祈りをしましょう。喜んでとりなしの祈りができること、これも聖霊の賜物です。その他、賛美の賜物や喜んで兄弟姉妹や求道者の送迎ができることも、聖霊の賜物です。

既に信仰をもって毎週欠かさずに礼拝してくださっているすべての皆さんの上に、聖霊の導きがあることを確信しております。聖霊の導きがあったからこそ、信仰が与えられ、イエス・キリストを救い主として信じることができたのです。また、信仰の決心に至っていない方も、聖書に関心を持ち、聖書の話を聞こうとされるのは、聖霊の働きがあるからです。このような方々にお伝えします。聖書を読むとき、また、礼拝説教を聞くとき、神の導きを求めて祈ってください。そうすれば、不思議に今まで理解できなかったことも、確信をもって理解し、喜びに満たされるのです。

私は福音を恥としません。福音はユダヤ人をはじめギリシャ人にも、

信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。

          ローマ人への手紙1:16

皆様の主なる神の恵みが益々豊かにふりそそがれますようお祈り申し上げます。

          (牧師:北林行雄記)

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