サムエルはイスラエルの最後の“士師”(さばきつかさ)で、最初の“預言者”と言われる人物です。サムエルは主なる神の特別な顧みにより敬虔なエルカナとハンナの長男として生まれ、生涯主にささげた人です。幼児のときから祭司エリのもとで主に仕えていました。彼はいつも神殿で寝ていましたが、ある日のこと、主はサムエルを呼ばれ(Ⅰサムエル3:10)、イスラエルの国、特に、エリの家の裁きを仰せられました(同3:11~14)。エリの二人の息子ホフニとピネハスは、イスラエルの民がいけにえを献げているとき、まだ肉を煮ている間にやって来て、大鍋に入っている肉を三叉の肉刺しで取り上げて食べていました(同2:12~17)。彼らは主なる神を侮り、主への奉げ物を横取りしていたのです。それゆえ、彼らの咎は「いけにえによっても、穀物の献げ物によっても、永遠に償うことができない」(サムエル3:14)重いものでした。
サムエルにとってエリは幼児のときから世話をしてくれた教師であり、親のような存在です。彼は“エリの家に対する神の裁きの仰せ”を語ることを恐れました。サムエルは朝まで寝て、それから主の家の扉を開けました。エリはサムエルを呼んで、主が告げられたことを正直に語るように言いました。そこで、サムエルは何も隠さず話すと、エリは「その方は主だ。御心にかなうことをなさいますように。」と言いました(同3:18)。エリは自分の息子たちの咎、また自分の咎を素直に認めて、神の裁きに委ねる決意をしたのです。その結果、主の御ことば通り、イスラエルはペリシテ人との戦いに敗れ、エリの二人の息子は死に、神の箱は奪われてしまいました。そのニュースを聞いて、エリは椅子から落ちて倒れ、首の骨を折って死んでしまいました。このように、神の仰せの通りエリの家は滅びました。神の御ことばは権威があり、必ず成就します。
サムエルにとって、エリの家の裁きは非常に辛いことでした。しかし、このことを通して、彼は主の御ことばの権威を深く味わったと思われます。彼は生涯にわたり、主に忠実でした。私たちも人生においていろいろな苦難を体験しますが、主なる神に従って歩む人々にはすべてのことが益となるのです。「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせる。」(ヘブル12:11)のです。アーメン。 (牧師:北林行雄記)